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2012年5月 9日 (水)

今回は一般で

どうも。
仕事という現実に戻りたくない男・にゃん太郎です。

さて。
前回の更新がボランティアのことでしたが、今回もまたそうなってしまいます。

ただし今日の内容は先月のものではなく、昨日行ってきたものです。

前回はバスツアーで仙台市若林区でお手伝いをさせていただいたワタシ。

今回はマイカーで単独行。

昨日2時に出発し、作業後に仙台駅前で一泊。
そして今朝8時前に帰宅しました。

昨日は2時に家を出て、途中で食事休憩などを経て7時半くらいに現地ボランティアセンターの
ReRootsさんに到着。

とはいえ受付は8時半からなので、先に荒浜海岸の慰霊塔にお参りに行って来ました。

持参したお線香で手を合わせ

今日はこの辺りのお手伝いをさせていただきに来ました。

その前に、少しこの辺りの写真を撮らせて下さい…。

などと犠牲者の方々に承諾を得(たと勝手に決めつけ)てから撮影に臨んだのは、
亡くなった方々の数(あの日200~300のご遺体が打ち上げられたとのこと)を考えると
前回はとても撮影する気になれなかったという過去があるから。

今回も躊躇する気持ちもあったのですが、大きかった荒浜の被害の爪痕が一番残っている
(残ってしまっている)この辺りの景色を数人にでも良いのでこのブログを通して
見て頂ければと思い撮影してきました。

もっとも、写真では現場の雰囲気はほとんど伝わりませんが…。

では。

Img_0006  

こちら、慰霊塔の入り口。

 
駐車できる場所(駐車場ではない)に車を停め

 
運転席右窓からの景色。 

 

 
Img_0001  

 

慰霊塔脇には建物の土台が。

 
その向こうの小高い土手のような物の向こうは海。

 

  

Img_0008  

 
 
 
写真奥の建物は荒浜小学校。

 

 

 
 
写真右手が慰霊塔の入り口で小学校までは400mほどありますが、そこに建物は
一つも無いことがわかりますでしょうか?

残っているのは無数の土台だけです。

Img_0010  

 

入り口脇に残る鳥居。

 

 

 

 
建物があったのか、チョットした神様が祀られていたのか?

鳥居の向こう側が海。

Img_0012  

 

 
その裏側(海側)に残る傷跡が…。 

 

 

 

Img_0015  

 
居住禁止地域となっている住宅街に

 
点在する黄色いハンカチ。

 

 

 

Img_0017  

 

 
そこには住んでいた方々の

 

 

 

Img_0018  

 

 
葛藤と想いが。

 

 

 

Img_0020  

 

 
いまなお大きな物が残っているこの場所に

 

 

 

いつの日か。

そして一日でも早く

Img_0019 

 

 
人の笑い声が戻りますように…。

 

 

 

そんな思いを置いて

Img_0021  

 

 
いざ、ReRootsさんの事務所へ。

 

 

 

昨日の参加は14人。

平日ということもありほとんどが地元の方々で、よそ者は金沢からの推定学生さん、
品川区からの休憩中の学校の先生 、そして四街道からのトラック運転手。

少人数だったので大きな畑には手を付けることができないということで、作業は
地元で400年農家をされているというお宅の草むしり・畑のゴミや瓦礫拾いでした。
(そのReRootsさんの活動報告はこちら。写真の中のどこかにワタシが。ウォーリーを探せ!)

事務所から自転車で10分ほどの現場に行くと、そこは「お宅」というよりも「お屋敷」と
呼ぶべき広さ。

住まいは津波に流されず残ったそうなのですが、住むことができる状態ではなかったので
取り壊してしまったとのこと。
それでも蔵や倉庫は残っており、その損傷具合が津波威力を物語っていました。

で。
少し蒸し暑い感じでしたが絶好の曇り空と海風の下、近所でご神木とされているという
カヤの大樹に見守られつつ、食事休憩50分を挟んで9時半頃~14時半頃まで雑草や瓦礫と格闘。

終わってみれば、ご当家のご主人様もボランティアリーダーさんも、そして戦闘部隊の我々も納得の仕上がりとなリました。

最近は大きい(広い)現場が多いから、こうやって一日でキッチリ完了する仕事が
ほとんど無いんだよね。

いや、今日は気持ちが良いね~。

とは、責任者さんの弁でした。

さて。
先に少し書いたように、昨日のメンバーは地元の方々がほとんど。

さらにその方々は皆顔なじみ(ベテラン)で、ボランティアハウスの責任者の方とも
ツーカーの方々でした。

事務所に戻った後にその皆さんの会話をずっと聞かせていただいていたのですが、
一番印象的だったのが、ボランティア団体が集めた瓦礫の無料収集期間が終わっているということ。

実際には業者さんがまだ無償で回収してくれているそうなのですが、昨年度末で
その期間は終了しているのだそうです。

いずれ粗大ゴミ扱いで有償で処理するようになるでしょうね。

そうなったら本当に困る。

表面の瓦礫は無くなっても、掘ればどんどん出てくる事を行政はわかってないのかなぁ?

という趣旨のお話をされていました。

色々と思うところはありましたが、ワタシはよそ者ですし、考えても始まりません。

ワタシにできることは、体を使うこと。

いやー、実はですね。

前回は初めてということでなーんにもわからず、要領というかスタンスのようなもを
うまく取れない感じだったのですが、昨日はだいぶ違いました。

ま。
誤解を恐れずに一言で表すなら、楽しかったです。

前回と違って作業の進捗状況が目に見えてわかる現場だったこと、馴染みの方々の
会話に時折首を突っ込んで和気藹々の雰囲気で作業できたこと、そしてある意味で
無責任な立場で作業に没頭すれば良かったこと。

色々な要素があったとは思うのですが、

ああ、楽しかった。

来月も絶対に来よう。

と思えたことは、充実した時間を過ごせた証拠だろうと思います。

ご縁があって昨日お世話になった皆さん

               本当にありがとうございました!

そんなこんなで案外早く作業が終了しまして、宿泊先の仙台駅前のホテルにワタシが
到着したのは16時過ぎ。

まずはシャワーを浴びまして、その後は食事のために17時前から街に繰り出しました。

仙台といえば、やはり牛タン。

というわけで街を徘徊し、最終的にワタシが辿り着いたのは駅ビル地下にあるお店。

気分良く作業を終えてテンションの高かったワタシは、知り合いも絶対に居ないという
誰に気兼ねすることもない絶好の環境の中、まずは焼き笹かまと生ビールを注文。

どちらも大変美味しゅうございまして、ビールが進む進む。

が、しかし。

二杯目を頼んだ時点で「このままでは金銭的に大変なことになってしまう」と思い、
早めに切り上げようと頼んだご飯物が…

Image

 

 

こちら!

  

 

 

 
牛タンづくしご膳。

…。

に、に、2000円なり…。

…。

そんなわけで、会計は3950円となってしまいました…。

…。

いや、3950円の味はしましたから…!

…。

いや、したと思いますよ…。

…。

いや、しました、よね…?

…。

で、まあ。

ほろ酔いで店を出てもまだ明るい。

そりゃそうですよ、まだ18時過ぎですもの。

帰宅のために駅に向かうサラリーマンの波を掻き分けながらホテルに戻りテレビをつけると、
ちょうどNHKの「各地のニュース」の中で仙台市の瓦礫処理問題をやっていました。

これ、コンビニで買った缶チューハイを飲みながらちょっと驚いたのですがね。

その内容を羅列しますと。

昨年3月末(おそらく昨年度分)までに仙台市が行った土木建築関係の公共事業の
入札のうち、約23%は入札が無い。

<原因>

①瓦礫収集などの給料が良い仕事に人が流れることによる人手不足

②現場作業員の単価アップによる人件費の増大

③資材の高騰(市が希望する額では採算が取れない)

また、建築関係の仕事の人のインタビューでは

海岸や護岸の工事は特殊な技術が必要。

ビルなどの建築物に比べると通常は工事が少ないために、その技術者も数が少ない。

急にたくさんの工事を依頼されても、専門家が少ないのでとても対応できない。

と。

関東にいるとなかなかここまではわかりませんよね…。

こんなニュースを見ながら、普段からテレビを見るという習慣が無いワタシは
19時くらいにベッドに潜り込みました。

潜る前に窓の外を見ると、あいかわらずまだ明るい。

12階から下を見ると、サラリーマンがたくさん歩いていました。

この時間に寝てしまえば、今朝2時前にホテルを出発したのは苦も無いこと。

深夜から早朝のドライブを終え、帰宅したのは8時前でした。

結局、往復共に2時~8時頃までのドライブでしたが。

いや~、この時間のドライブは最高。

漆黒の闇を切り裂くヘッドライトの灯り。

黒から藍に変わる黎明の空。

昇る太陽。

動き出す街。

この一連の流れを感じると、変に思われるかもしれませんが「生きてる」って感じがします。

仕事でしょっちゅう体感するのですが、自分の車に乗ってやりたいことをやりに行く、
やりたいことをやり遂げて帰ってくる時の充実感があると、その高揚感は
比べ物になりませんね。

そんなわけで。

仕事が暇な10月までは毎月一回、仙台に行きます!

もう来月の予定も入れちゃいました。

勤務予定を組む先輩には

あんまり休むと給料減るよ

という精一杯の皮肉を言われましたが(連休を取ると他の人の予定を組みづらいので)、
ゴメンナサイ。

ワタシは行きます、10月まで。

ご迷惑をかける同僚の皆様、お許し下さい。

ワタシはこの後の五ヶ月

Img_0024  

 

 

に、なります(笑)。

 

 

 

 

 
 
あ、表は

Img_0023  

 

 

 
木の妖精「リル男」君ね。

 

 

 

 
  

ということで。

次回は6月7日早朝に出発予定です!

あ~、楽しみ~。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今回ベテランボランティアさんの何人かから

何日か滞在するんですか?

と訊かれました。

ゴメンナサイ。

今日一日で許して下さい(笑)。

と答えましたが、会話の内容から、個人参加の人は滞在型で続けて参加する方が多い模様。

考えてみればそうですよね。

交通費かけて行ったら、一日じゃもったいない。

できることならワタシも一週間くらい居たいです。

でも、それは無理。

ちなみに金沢から来ていた推定学生さんは、一週間かけて東北の被災地をボランティア作業を
しながら巡ると言っていました。

一般の社会人にはできないことで、うらやましいです。

ま、それは言っても始まりませんからね。

ワタシはできることをできる範囲でやります!

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「ボランティア」って、なんか大げさな感じで好きじゃありません。

個人的には「復興のお手伝いをさせて頂く」と考えています。

そんなカテゴリーを作りました。

2012年4月22日 (日)

被災地へ ~雑記編~

どうも。
花粉時期が終わりようやく床屋に行ってきた男・にゃん太郎です。

花粉の時期は鼻水垂れ放題で床屋に行かれないんです…。

さて。
今日はボランティアツアー参加にまつわる記事の最終回。

極めて私的なあれこれをば。

まず、今回思い切ってこのツアーに参加できたのは…

①土日の連休があった

②千葉駅発着のバスツアーだった。

というところが大きいです。

ワタシにとって①は必須の条件。
ツアーは「日帰り」という名の深夜発・深夜帰宅。
震災から一年以上が経った昨今は、こういうツアーは土日利用のものしかありません。

今回ワタシは4月20日22時千葉駅発・翌21日24時前千葉駅着予定のツアーに参加したのですが、
これで仮に翌日仕事となればワタシは4月22日の3時過ぎに出勤しなければならないので、
睡眠時間ほぼ0となってしまうのです。

そして②。
この条件が整っていたことは大変嬉しいことでした。

バスは千葉駅を出た後に津田沼駅・東京駅と立ち寄ってそれぞれメンバーを拾っていったので
考えようによっては東京駅発のツアーでも同じとも言えるわけですが、仕事の後に電車に
一時間揺られて東京まで行くとなると「気軽感」が無くなってしまうのですよね…。

そんなワケで、たまたま揃った条件。

いざ申し込み!

と言いたいところですが、実際は申し込みをするまでにかなり悩みました。

まずは睡眠時間。

出発は金曜の22時だったわけですが、ワタシはこの日は仕事。
内勤だったので2時に起きて出勤し、そのまま22時にバスに乗るわけです。

そして車内でウトウトして土曜の9時過ぎからは作業。
帰宅は推定24時を回るという…。

つまり約48時間横になれないわけですね。

もちろんバスの中では寝放題なわけですが。
間もなく齢42となるワタシ、実は未だに24時間起きていたことが無いのす。

と言うわけで、この「48時間」は大変大きな不安要素でした。

実際はやはりバスの中ではほぼ寝ている状態で、思ったよりはキツく無かったです。

次にトイレ。
ちなみに「大」の方です。

頻尿ならぬ頻便のワタシ。

基本的に食べたらすぐ出るの人なので、バスの中はもちろんですがトイレが無いに等しいと思われる
作業場所で、昼食を食べた後に「そうなったら」どうしようかという不安。

結局この対策として、出発の二日前から一回ごとの食事の量を減らすという作戦を決行。
それが功を奏したのか、お陰さまで事無きを得ました。

さらにはバス酔い。

運転好きで、それを生業にまでしているワタシですが、実は乗り物に弱いのです。

戻すほどではありませんが、タクシーは20分以上で確実にキテしまいますし、
観光バスもユラユラとした揺れと、前の座席が近いあの閉塞感がダメ。

今回は成人してから初めて酔い止めの薬を飲んで乗車しましたが、行きの夜中は辛かった…。

そして、知人ゼロ。

ワタシの仕事は交代制の休みのため、会社の友人をツアーに誘うことはできず参加は単独。

「ボランティア」と名の付く行動そのものも初めてということで、なんとなく敷居が高い気もしました。

しかし。
フタを開ければワタシと同じバスに乗っていた38名のうちほとんどの人が単独参加。
そしてこれまたほとんどの人が初の被災地支援でした。

さらに驚いたのは比較的若い女性の参加が多かったこと。

そもそも同じバスに女性が10人以上(15人近く?)乗っていたこと自体が驚きでもあったのですが、
その平均年齢は30歳を切っていたのではないかと思います。

そして女性陣もほとんどが一人での参加。

男性と比べると更に様々な不自由があると思われるこういったツアーに参加するのは
勇気がいるでしょうに、本当に頭が下がりました。

さて、ここで少し考えてみますと。

ほとんどの人が個人参加、当然ながら初対面、そして初ボランティアの老若男女が
入り乱れ(20歳前後~60歳過ぎまで)となると、なかなか統制が取れないのではないかと
思われるかもしれませんが。

これがなんと、恐ろしいほどの一糸乱れぬ行動でした。

トイレ休憩の集合時間の2分前には全員が揃い、作業休憩終了の号令がかかるわけでもないのに
いつの間にか作業が開始され、各人が拾い集めた石を入れた土嚢袋が重そうなら自然と
近くにいる人が手を貸すという…。

そして少しオチャラケタ話をするならば。

作業終了後に健康ランドのようなところで入浴タイムがあったのですがね。

併設された食事処で風呂上りのビールを飲んだり、コンビニでビールを買ってバスに
乗り込んだ人が一人もいないではありませんか(ワタシが確認した範囲ですがほぼ間違いない)!!

いや。
もちろんトイレを考えたらビールは危険ですし、遊びに行ったわけではないので当然と言えば
当然なわけなのですが。

個人的にはこれは凄いことだと思いました。

まあ、そんなワケで。
先に書いた「被災地へ~感想編~」で書いたことと違う場所で色々あったワケでして、
それに伴ってあの記事で書いた感想とはまたと少し違った方向で、感じたことがあります。

端的に述べると。

オレって、ショボっ!!

と。

いや。
ジメジメとこういうことを一人考えることはよくあるのですが、今回はカラッとした感覚で
そう思いました。

自分のことを笑い飛ばしたくなるような感じ。

そう、前向きに。

お世話になった現地ボランティアの方々の姿や同行した人達の行動を見ていて、
今日書いたようなことを一人ウジウジと悩んでいたことがバカバカしく思えたのです。

ほんの少しですが、このツアーに参加して自分が変われた気がします。

今まで漠然と「被災地と関わりたい」と思っていたワタシ。

しかし。

何ができるのか?

どこに相談すればいいのか?

なかなかきっかけが掴めずにいました。

ここでようやくそこから動き出すことができた感じがするので、これからはお世話になった
現地ボランティア団体のReRootsさんを頼りに、少しでも役に立てればと思います。

最後になりましたが。

荒浜の慰霊塔を案内してくれたReRootsさんのメンバー(19歳♀)とワタシの歩きながらの会話を。

今日はどうして参加してくれようと思ったんですか?

純粋に「役に立てれば」という思いと、申し訳ないのですが「被災地を見てみたい」という
気持ちもありまして…。

いえいえ、申し訳なくなんか無いですよ。
それれで十分なんです。

そうですかね…。

私も今はこうして皆さんを案内してますけど、最初ここに来た理由はやっぱりそうでした。
それで実際に見たら「何かしなきゃ」って思って。

今日わざわざバスを遠くに停めて慰霊塔まで歩いてもらったのは、バスからここまでの
景色を皆さんにしっかりと見てもらいたかったからなんです。

…。

彼女が「実際に見た」景色はワタシが見た景色とはまたまったく違うものであることは
間違いありません。

その絶望的であったであろう景色を知る彼女が、それでも「今の景色しっかり見て欲しい」と言う。

今まで

野次馬根性で見に行くのはどうなのかな…。

と思っていたワタシですが、彼女のこの言葉を聞いて

「あの時」生きていた者として、とにかく一度現地を見てみるべきなのではないか

と思うようになりました。

来る大型連休や夏休み。

ツアーでも結構。

個人でも結構。

どこに行こうか悩んでいる方がいるようでしたら、ぜひ思い切って被災地の景色を見に行ってみて下さい。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

余談ですが。

ボランティアには行かれないけど何か力になれないかな?

という方は、被災地で頑張っている現地ボランティア団体に寄付をするのはいかがでしょうか?

どこに行ってしまうのか分からない大きい団体への義援金よりも

現地ボランティア団体へ寄付する方が即効性のある生きたお金になる

のではないかと、今回痛烈に思いました。

ワタシは今回お世話になった現地ボランティアのReRootsさんと深い関わりはありませんが、
さしあたりこちらにReRootsさんのカンパ募集のページを貼っておきます。

よろしければご覧になって下さい。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

おまけ。 

Img_0003 

 

 
今回乗っていったバス。

2012年4月17日 (火)

被災地へ ~持ち物編~

どうも。
ようやくマスク生活から解放された男・にゃん太郎です。

さて。
今日は被災地へのボランティアツアーに行く際の持ち物について、作業用とバス内用に
分けてご案内を。

ワタシもそうでしたが、初めての方はどんな恰好で行って何を持って行ったら良いのか
よくわかりませんよね…。

あ、そうだ。
まず持ち物の前に、最重要事項。

お住まいの地域の社会福祉協議会で「ボランティア保険」に必ず加入して下さい。

これに加入していないとツアーや現地のボランティア団体の斡旋による活動はできません!

とりあえず社会福祉協議会に行って

被災地のボランティアに行くので、保険に入りたいんですけど…。

と言えば、あーしろこーしろと教えてくれます。

一番お手ごろのもので490円で加入でき、4月~3月末日まで(1年度)有効です。

その場で証書(?)をくれるので、保険証のコピーと共にツアーに持参して下さい!!

ということで、
ではまずは、作業用の持ち物を。

とりあえずは、ワタシを荒浜に運んでくれた「なの花交通さん」のHPにある
わかりやすいこのページををご覧下さい。(こちら

ま、これだけ揃えれば完璧です。

一応下に羅列しながら、その解説を。

①汚れても良い長袖・長ズボン
  ケガ防止のため、真夏でも長袖・長ズボン!
  ワタシが参加したツアーでは最終のサービスエリアで着替えタイムがありましたが、
  基本的にズボンは出発地から作業で使うものを穿き、上は移動中の服装の上に
  サッと一枚羽織る、あるいは一枚脱いで作業用の物に換えるパターンがベスト。
  着ている物すべてを換えようと思うと渋滞等で時間が無い場合困りますし、
  何よりもトイレの個室が混雑し、切羽詰ってトイレを使いたい人が困ります。
  また、真夏はスポーツ用の長袖Tシャツなどの吸湿発散性の良い物をお薦めします。

②帽子
  長い間立ち入り禁止になっていた区域でなければ大きな瓦礫や危険な物は
  概ね撤去されていると思われますので、ヘルメットの必要は無いと思います。
  しかし思わぬ物から頭部を守る意味と、ワタシが経験した畑作業のような外作業の
  場合は日光を遮ると言う意味で必ず帽子は必要です。
  作業現場に直射日光から逃れる日陰は無いものと思って下さい。
  夏場はツバが大きい麦藁帽子が最適だと思われます。
  その他のシーズンはキャップで大丈夫です。

③マスク
  立ち入り禁止が最近解除されたような区域でなければ、防塵マスクの必要はありません。
  いわゆる使い捨てのもので問題無いですが、最低でも2~3枚は必要です。
  その日の風の強さや作業内容によって随時交換、又は重ねて使用することを
  お薦めします。
  津波被害があった地域では地面は「土」ではなく「砂」だと思って下さい。

④長靴
  できればヒザ下までの長いタイプで、上をキュッとできる(砂が入りにくい)…
  Securedownload                       

 

  
 
こんな物。 

 

 

 

  で、さらに。
  「踏み抜き防止」と言って釘などを踏んでも靴裏から貫通しない加工が施されている物。
  「踏み抜き防止の中敷」も販売されているので、通常の長靴にそれを敷いてもOKです。
  ここで問題のなのが靴のサイズです。
  いわゆる安全長靴の利用者は男性が圧倒的に多いため、作業道具の専門店に
  行っても24.0cmか24.5cmくらいの大きさからしか置いてありません。
  故に足が小さい女性の場合は雨天時に使う長靴でも仕方ないかと思いますが、
  踏み抜き防止の  中敷は絶対に必要です。
  小さいサイズの中敷は22.0cmがあることはこの目で確認しましたが、場合によっては
  お店に置いていないこともあると思います。
  そうなると取り寄せになって時間がかかるので、長靴の準備はとにかく早くして下さい。

⑤ゴム手袋
  軍手での作業はやめましょう。結構簡単に切れますし、意外と手も汚れます。
  なるべく厚手で、滑り止めのあるゴム手袋をお薦めします。
  ゴム手袋の中に軍手や薄手の綿の手袋をはめると手が蒸れません。
  その際は自分の手のサイズより一回り大きいゴム手袋を購入して下さいね。

⑥タオル
  汗拭きや汚れ拭きように、念のため。
  タオルより手ぬぐいの方がかさばらないと言う話も…。

⑦飲料水(スポーツドリンク等)
  ワタシが行った現場もそうでしたが、基本的に水は無いと思って下さい。
  ですから最低限、自分が飲む水は確保していくこと。
  現場に荷物置き場があるとは限りませんので、作業で両手が使えるように
  ウエストバッグや小ぶりなリュックサックに入れて行く必要があります。

以上ですかね。

ボランティアツアーの場合は作業で必要となる道具は企画会社や現地でお世話になる
ボランティア団体さんが準備してくださると思うので、個人での持ち物はこれで問題無いと思います。

ただし!
昼食が出るのか出ないのかは必ず確認して下さい!!
自前で用意なら、忘れないように。

以下、あると便利かもしれないもの。

・ウエットティッシュ
 ワタシは現場に持参しましたが使いませんでした。汗をかく時期はあると良いかも。

・おやつ
 小腹が空いた時、休憩時間にでも。ワタシはソイジョイを持参しましたが食べませんでした。

・メガネ(ゴーグル)
 念のためコンタクトの人はあった方が良い。これからの時期はサングラスの方が良いかも。

・ティッシュ
 アレルギー性鼻炎の人は持っていたほうが良い。ひょっとしたらトイレでも使うかも?

あ、トイレと言えば…。

今回の現場は基本的にトイレは無しでした。

本当は仮設トイレがあったそうなのですが、最近あった荒天により吹き飛ばされてしまった
そうです。
なので軽トラックに載せて移動式仮設トイレを一つ設置してくれましたが、原則女子専用。

男子は「小」は防風林の残骸の陰で。
巨大な残骸が無数に転がっていますので、済まそうと思えば「大」も残骸の陰で可能でした。

現地でお世話になったReRootsさんの名誉のために、念のために言っておきますと

緊急の際には車でトイレまでピストンします。

とおっしゃっていました。(キレイなトイレまでという意味だと思います)

少々話がそれましたが。

その他、日焼け止め・虫除け・ひんやりタオル・携帯カイロなど季節ごとに便利な物も
あると思います。

まあ、作業用の持ち物はこんなもんですかね…。

続いて、バス内編。

夜行バスを利用したことがある方はご存知のように、劣悪な環境です。

少しでも快適に過ごせるように…。

①旅行用の携帯スリッパ
  小さく折りたためるもの。

②空気枕?
  膨らまして頭の後ろに置くやつ。

③アイマスク
  神経質な方は。基本的に車内は消灯されますが、これからは夜明けが早く4時には
  明るくなり始めます。

④エチケット袋
  …念のために。

上記四点はいずれも100円ショップで手に入ります。

⑤おやつ
  小腹が空いた時に。食べる時に大きな音が出る物や臭いの強いものは避ける。
  状況次第でサービスエリアで飲食ができない可能性もあるので、パンくらいは
  用意しておいた方が良いかもしれません。
  もちろん飲み物も。

⑥ひざ掛け
  寒い時期は。暖房が効いていても、足元はスースーする。

ですかね…。

で、ですね。
当然ながら車内は相当狭いです。

基本的に、短時間でも熟睡するのは無理だと思って下さい。

眠りたい人は、眠くなる成分の入った酔い止めを飲むと良いかもしれません。

以下、バス移動の心構えですが。

ワタシが参加したツアーは約2時間に一度15分の休憩がありましたが、睡眠や利尿作用を
考えると、夜間の車内での飲み物はお茶類は避けた方が良いかもしれません。

足元が狭くて動けませんので、休憩時間に目が覚めた時には用が無くても一度バスを降りて
屈伸などをすると良いと思います。

消灯後はイスを倒すこととなるでしょうが、必ず後ろの人に一声かけましょう。
またその際に後ろの人の体格を確認し、迷惑がかからない程度の倒し方にできると
なお良いと思います。

…。

うーん。

こんなものですかね?

サクッと書き上げるつもりでしたが、意外と時間がかかりました…。

ま、この記事がどなたかの参考になれば幸いです。

ではでは。

2012年4月15日 (日)

被災地へ ~感想編~

どうも。
久々の登場でお肌カサカサの男・にゃん太郎です。

さて。

昨日は被災地復興支援・日帰りボランティアバスツアーに参加してきました。

ひょっとしたらこれからこういうツアーに参加する方々が読まれるかもしれないことを思うと、
このツアーのことを記事にするには、申し込みに至る経緯から事前準備、当日の流れ等を
なるべく詳しく書くことが必要だと考えますが、それらとボランティア活動で感じたことを
一記事にまとめて書くことは困難だと判断し、いくつかの記事に分けて書くことをご理解
いただければと思います。

初回の今日は被災地をこの目で見、作業をしながら感じたことを書きたいと思います。

と言いながら初めにお断りしておきますが、今回はまとまりのある記事にする自信がありません。

というのも、昨日の体験や感想は私の頭脳や感性の処理能力を超えており、
自分の中でまだ整理がついていなのです。

ただやはり、まとまりが無い内容になったとしても熱いモノが残っているうちに
まずは一記事書いたほうが良いかと思い、今日PCに向かっているしだいです。

そのあたり、なにとぞご了承を。

さて。
そんなワタシが昨日作業した場所は仙台市若林区荒浜地区。

この地域は「生死を分けた」という津波を堰き止めた仙台東部道路の東側(海側)にあり、
現地ボランティア団体のReRootsさんのお話によれば、仙台市内でも最も津波被害が
大きかった地域だそうです。

東部道路を背にして立って振り返ると仙台市中心部のビル群が見えるのですが、
津波被害を蒙った正面を見ると…

Img_0006_2  

 

 
180度、こんな景色。

 

 

 

なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんもないです。

いや。
正確に言えば、あります。

かろうじて踏ん張った

Img_0004  

 

 
ガソリンスタンドや

 

 

 

Img_0005 

 

(日常的にスタンドに出入りする

        ワタシには衝撃的だった) 

 

 
 

民家や店舗。

そして彼方には、全員が屋上に避難してなんとか命を取り留めたという荒浜小学校も。

しかし、もはやあの広大な荒地の中にはこれらの建物があっても「点」でしかなく、
逆に「無い」ことを実感させる存在になるという不思議な感じでもありました。

そして「無い」状態になっているということは、この一年で自衛隊の方々や地元の皆さん、
ボランティアの人々などが無数の瓦礫を撤去してきたのだということも言えるわけで、
それを実感させられた光景も。

Img_0012  

 

 

 

 

  

 

Img_0014  

 

 

 

 

  

 

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すべて防風林の残骸。

そしてその向こうにあるわずかな松は、生き残った防風林。

昨日ワタシが作業した場所は、この防風林と道路一本隔てていた(と思われる)畑で、
その内容は畑の石ころや瓦礫の破片拾い。

そして時間があったので土の掘り起こしもしました。

これが車窓越しにとった

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「畑」の一部ですが…。

 

 

 

ご覧のように石ころだらけ。

そして「土」ではなく海から運ばれてきた「砂」。

作業した畑はここから数百メートル離れた場所でしたが、状態はほぼ同じで

ここの畑の農家の方は、この春にはジャガイモの苗を植えたいとおっしゃっているので
皆さんよろしくお願いします。

とボランティアリーダーの方に言われた時には、正直なところ耳を疑いました。

と同時に、農家の方の思いや現状の厳しさ、そして自分の任務の重さに愕然とすると共に、
その重要性も感じました。

で。
ワタシ(同行したツアーの皆さん)が作業したのは正味3時間くらいでしたが、
この3時間はあっと言う間でした。

初めは皆さん中腰で作業していましたが、すぐにヒザを付き、尻を付き、正座をし。

仲間と来た人も一人で来た人も、ただ黙々と石を拾い続ける。

ムダ口をきく人もなく無言で地べたを這いつくばる集団は、はたから見れば異様な
集団であるかもしれませんが、現場に漂う使命感は大変なものでした。

いや。
「使命感」というよりも、ある意味で「無我」だったのかもしれません。

実際のところ、ワタシは現場に到着するまで

俺に何ができるのかな…。

と思っていたのですが。

あの光景の中で作業をしている間は、いま思えば何も考えていませんでした。

潜在的には「やらなきゃ」とか「なんとかしなきゃ」とかそういうものがあったのかも
しれませんが、とにかくその間、頭の中は空っぽ。

おそらくはあそこにいたほとんどの「仲間達」はワタシと同じ状況だったと思います。

で。
決められた範囲内をなんとか「形」にした後に、先ほどの写真のガソリンスタンド前に
バスを停めて(どうやらソコはセブンイレブンだったようだが跡形なし)、荒浜小学校前を
5分ほど徒歩で移動し、海辺に建立された慰霊塔にお参りに行きました。

案内してくれた現地ボランティアの方に聞いたのですが

皆さんに歩いて移動してもらったのは、慰霊塔へ行くまでにその光景をキチンと
目に留めてほしかったから

とのこと。

その思いは実に有効で、建物の土台にヒッソリと手向けられている新鮮な花や、
住民の皆さんが荒浜地区への思いを綴った立て看板や、

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そこここに立つ黄色いハンカチに 

 

 

 

胸が締め付けられました。

そして「数百の遺体が打ち上げられた」という浜に立って海を見つめてきましたが。

海は海以下でもなければ海以上ではなく、海はただ海であるだけで、海でなかった
日のことを想像することは到底できませんでした。

海岸線から2km以内は居住禁止区域になっている。

市内中心部へのアクセスが良く、海の幸に恵まれ、景色も良い荒浜。

そこに住んでいた人達はこれからどう生き、どう海と付き合っていくのか?

よそ者のワタシには想像もつかない苦悩があることは想像に難くありません。

今回ワタシは、言ってみれば「地味な作業」をしてきました。

その作業を経験して、いま思うことを徒然なるままに述べさせて頂きますと。

基本、被災地の多くは「復興」というものには程遠いところにあるのではないかと。

いや、ホント。
ピンポイントで被災地を体験してきただけで言うのはなんですが。

多くの被災地は、こんな感じなのではないかと思ってしまいます。

というのも、今回の荒浜地区は仙台市。

仙台市の中心部では、いわゆる復興バブルが起きているようですが

それは全然別の場所のお話に思えます

と現地ボランティアの方が言っていました。

政令指定都市にある場所で最も被害が大きかった地域があのような状態にあるのですから、
他の被災地も推して知るべしでしょう。

だとすれば、国の復興対策は、漠然とですが間違っていると思います。

東日本大震災で甚大な被害を受けているのは沿岸部であり、都市部で起きた
阪神大震災とは職を失った人達の「仕事」の内容は違っているわけで、
となれば国としての復興対策もまったく違った内容にする必要があるのではないかと
思います。

その辺り、国はちゃんとわかっているのでしょうか?

感覚的なもので、ものすごーーーーくザックリ言う。

今回の被災者の方達が生きるために必要な仕事を作るには「お金」はもちろんですが
今の段階では(本当はもっと早い段階で)「人手」が必要なのではないかと。

いえね。
なにも国が「石ころ拾い」をやれと言っているのではないのですよ。

ただもう少し色々なことを把握して

時間のある人、ボランティアで現地に行って下さーい!

くらいのことを言っても良いのではないかと。

少なくとも消費税とか、郵政とか、新党とか…。

そんなことを言う前に、もっと大事なことがあるようにワタシには思えます。

そんなわけで、ですね。

やはりまとまりなく、何を言いたいのかよくわからない記事になった気がしますが。

今回ご縁があって、訪れた荒浜地区。

これからの復興を心から願うと共に、被災地への可能な限りの支援を続けたく思います。

そして可能なら、また彼の地で何らかの作業ができればと思うのであります。

残念なことに、被災地を救うのは「国」ではなく「日本人」であるようです。

どうか一人でも多くの方が「日本人」でありますように…。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

<お詫びとお知らせ>

記事をアップした際には現在掲載している写真以外も載せていましたが、
今回は地域がかなり限定された記事となっていることを鑑みると個人所有と思われる
建物の写真をを掲載するのは不適切ではないかと考え、該当する写真は削除いたしました。

先に掲載していた写真で不愉快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、
この場をお借りして心よりお詫び申し上げます。

2012年4月 7日 (土)

白地に赤く

白地に赤く

どうも。
酒々井SAで時間調整中の男・にゃん太郎です。

都心部は桜が満開のようですが、この辺りは三分咲きにも満たない感じ。

そんな中。
冷たく強い風にはためく国旗が、青い空によく映えています。

思えば、一年前の今ごろはサービスエリアの国旗はすべて半旗。

あの頃は自粛ムードなどに関係なく、単純に桜を気にかけるような
心の余裕などありませんでした…。

一年で変わったもの、変わらないもの。

生きていることの意味。

生かされている理由。

日の丸を見上げながら、そんなことを漠然と考えてみる
オジサン・にゃん太郎なのでした。

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