2019年を振り返る
どうも。
本日からまさかの三連休の男・にゃん太郎です。
年末から年始にかけてこんなに休めるなんて、一昔前には考えられなかったことです。
えー、さて。
表題の件。
今年ももう、そんな時期です。
個人的には今年は盛りだくさんの一年でしたが、大きな出来事は三つでしょうか?
まずはやはり、裁判員を務めたことでしょう。
自分の中での司法への垣根が一気に低くなり、裁判というものへの興味はもちろんですが、そもそも刑罰とは何なのか?
その基になる刑法はもちろんのこと、法律とはなんなのか?
ひいては、憲法とは…?
という事で、自分なりに色々と調べ、考えるきっかけとなりました。
そして様々な刑事裁判の判決が報道されるたび、大変興味深く感じるようにもなりました。
そして二つ目は、四年半ぶりの下血・入院。
今回は前回よりも入院期間も延び、社会からの離脱は丸々一ヶ月。
お陰様で再発は有りませんが、外出中や仕事(乗務)中に「今もし下血したらどうしよう」と突然不安に襲われることがあります。
来年50歳を迎えるワタシが平均寿命の80歳まで生きるとして約五年に一度下血が起きるとすると、あと六回も入院することに
なりますね。
まあ。
このまま一度も再発しないかもしれませんし、今すぐ下血するかもしれないし、考えても仕方ないことですがね。
で。
三つ目はこの下血・入院で延期になった両親との旅行。
6月の予定が延期となりまして、10月に行ってまいりました。
二泊三日で、仙台・南三陸・陸前高田。
お察しの方もいらっしゃるでしょうが、東日本大震災の被災地ですね。
各所の印象を少し述べますと。
まず、仙台はワタシが手伝いに通っていた若林区の荒浜地区。
震災遺構となり史料館化された荒浜小学校を訪ねましたが、塩釜亘理線のかさ上げが完了し、荒浜交差点はきれいな立体交差に。
同交差点で無残な姿を晒していたガソリンスタンドもコンビニエンスストアーの基礎も、今の景色からは想像もできません。
以前の景色が変わっていってしまうことは残念に思うところもあるのですが、着実に良い方向に進んでいる感じがしました。
ただし。
塩釜亘理線以東は居住禁止区域に指定されており、震災前にこのエリアに住んでいた方々は戻ってくることができません。
故に、個人的には「復興」という言葉は違うのかなと思います。
次に、南三陸。
「部外者」のワタシがこんなことを言うのは非礼かとも思うのですが、正直なところ大変な衝撃を受けました。
南三陸で震災直後に大きく取り上げられた、防災対策庁舎。
前回訪れた2014年には、砂埃が舞う荒涼とした大地に佇んでいました。
津波に呑まれたその錆びた体躯を足元から見上げた後に周囲の景色を見渡すと、視界を遮る物が無いゆえに津波の高さを
実感できましたし、震災当時には他に逃げ場がなかったであろうことも想像できました。
しかし、五年の月日で周囲の景観は一変。
街全体のかさ上げが進んだことで、防災対策庁舎を含む復興祈念公園の一帯だけがいわば「陥没」したような作りになっていました。
そのため、さんさん商店街などの公園外からだと防災対策庁舎を高い位置から見ることになってしまい、津波の高さが伝わりにくく
なってしまっているように感じました。
今回ワタシが訪れた際はまだ祈念公園の敷地内に入れなかったので何とも言えませんが、庁舎のすぐ後ろはかさ上げ道路となっているので
公園内で庁舎を見上げたとしてもやはり「高さ」が伝わりにくくなってしまっているのではないかと…。
ワタシの記憶が正しければ、この防災対策庁舎を震災遺構として残すかどうかは地元の方々の中でも賛否両論があったはず。
五年前に庁舎を目の当たりにしたワタシもその衝撃があまりにも大きく、部外者ながら非常に難しくデリケートな問題だと思いました。
そんな中で遺構として残すことが決まった、大切な場所。
正直なところ「別の遺し方はなかったのだろうか?」と感じました。
しかし、当面の間は人が住むことを考えなくて良い前出の仙台荒浜地区が「そのままの状態」を維持しやすい
(無理に変える必要がない)のに対し、南三陸は早急に「安全に」人が住める状態にしなければならないわけで、
時間や遺構の保存の方法に制限がかかることは必然。
遺構となっている「現場」で人が亡くなっているか否かという大きな違いもあり、今回この二地域を訪れたことで
「復興状況は比較するものではない」という事を感じるとともに、その難しさを改めて思いました。
最後に。
初めての陸前高田では、まだできたばかりの「高田松原津波復興祈念公園」に行ってきました。
こちらは史料館が非常に充実していまして、興味深い内容が多かったために予想外に時間がかかりましたが、大変勉強になりました。
そして陸前高田と言えば「奇跡の一本松」。
この祈念公園の最深部にあり、史料館からは徒歩で10分近くかかるでしょうか?
おりからの強風の中、81歳と79歳の両親と共にえっちらおっちら歩いて行きましてね。
よいしょ。
スマホのカメラ、恐るべし。
意外に良い写真が撮れました。
で、まあ。
何故この一本だけが残ったのか、盛んに報道されていた時から不思議に思ってはいたのですが。
実際目にしてみたところ、理屈も何もない。
この松は『その時』を後世に伝え続けることを、何万という仲間の松から託されたんだな。
と、ㇲッと腑に落ちました。
しかも、震災の記憶を持たない人達が増えてから枯れたら切られてしまうかもしれない。
だから直後に枯れかけることで、人間に「保存」させようとさえしたのではないかと。
変な話かもしれませんが、そう感じました。
あ。
なんだか、力が入って表題から逸れてしまった気も…。
そんなこんなで、今年も間もなく終わるわけですが。
入院はしたものの、一年間無事に過ごせたことを有難く思います。
今年お世話になった方々、ありがとうございます。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。









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