昨夜TV中継されたキリンカップサッカーをご覧になった方、多いことと思います。
ワタシもその一人です。
ワタシ自身はワールドカップなどの大きな大会があるとサッカーを観るようになる
いわゆる「にわかサッカーファン」なので、昨日の試合の内容について
どうこう言うつもりはありませんし、言えるほどの知識もありません。
そんなワタシが昨日のTV中継で一番印象に残ったのは、両国の「国歌斉唱」でした。
TVのスイッチを入れると、ちょうどその場面でした。
まずはスコットランドの国歌。
女性歌手が歌う後ろからは、スタンドからの声が聞こえました。
最初は無礼な日本人サポーターが奇声を発しているのかと思ったのですが、
声の主たちはスタンドに居たスコットランド人(イギリス人?)の方々でした。
女性歌手と一緒に歌っていたのです。
会場に何人のスコットランドサポーターがいたかはわかりませんが、
アウェイの地で高らかに国歌を歌う彼らに、なんだか感動しました。
そして日本の国歌斉唱。
選手と一緒になって歌うサポーター。
選手と一緒だからとは言え「君が代」を大きな声で歌うサポーター達を見て、
「日本もまだまだ捨てたもんじゃないな」などと思いました。
しかし、こういった場面での国歌斉唱を観る(聞く)たびに、ワタシは毎回のように
残念に思う事があると同時にこの国の行く末を案じてしまうのです…。
それと言うのもマイクの前で歌う方々が
誤った歌い方(だとワタシは考える)をしている
からなのです。(偉そうでスミマセン)
はじまったか。この偏屈オヤジめ。 ( →_→)ジロ!
と思った方も聞いてください。
ワタシが「誤っている」と考えるのは、曲の途中のブレス(息継ぎ)の位置です。
「言葉の区切りの位置」と言い換えても良いとおもいます。
では皆さん、まずは一緒に「君が代」を歌ってみましょう!!
さん、はい!!
♪きーみーがーぁー世ーぉーは~
千ー代ーにーぃぃ八ー千ー代ーに
さーざーれ~いーしーのぉ~♪
はい!ストップです!!
そこのあなた…。
「さざれ」と「いし(石)の」の間で
息を吸ってしまいましたね??
それです!
それが間違いだと思うのです!!
なに言ってんの?あんた。
と言いたい方がほとんどだということは、百も承知しています。
実際はほぼ全員の方がここで息を吸っていると思われます。
そう。
マイクの前の方々もココでブレス(息継ぎ)をしてしまう方がほとんどなのです。
ではココのブレスをなぜ「間違いだ」とワタシが考えるのか?
これからワタシなりの考えを述べさせていただきます。
まずは国語的な観点から。
ここは歌詞を見ると「さざれ石の(細石の)」です。
「さざれ石」という一つの言葉の途中で息継ぎをしてしまう、それによって音が途切れ
「さざれ」という語素と「石」という名詞とに分かれて聞こえてしまい、
誤った解釈を生む可能性があると考えられます。
次は音楽的な観点から。
「君が代」を歌う場合、ほとんどの方が無意識のうちに2小節ごとにブレスを
していると思います。
しかし「さざれ」と「石の」の間でブレスをすると、ココだけなぜか1小節での
ブレスになります。
(2小節できたブレスのタイミングを1小節に変えることについては問題ないと思います)
はて?
なぜこの部分だけ1小節で再度ブレスをしたくなるのでしょうか?
ワタシなりの考えは
①「さざれ」の後に来る「石の」は音が高めなので、この2小節を息継ぎナシで
歌いきるのはキツイということを無意識に体が感じている。
②一度仕切りなおすことで、高い音を出すための体の準備ができる
です。
以上の二つが理由だとすれば、ココでブレスをしたほうが美しく歌うことが
できると思われ音楽的にはOKのような感じがします。
しかしながら、昨今流行しているラップやニューミュージックならばまだしも、
クラッシックや演歌、童謡などでは「一つの言葉」の途中でブレスをするというのは
通常ありえない、というか考えられません。
普通は歌詞の中での文節と音楽上の小節の区切りが一緒になる場所で
ブレスをします。
仮にその場所までが遠くて息が持ちそうもない時でも、音楽的な「小節」ではなく
国語的な「文節」が優先され、小節内の言葉の区切りの良い場所で
サッと息を吸ってごまかします。
「君が代」をジャルンル分けするのは困難ですが、古くから歌い継がれてきたという
観点から「ラップ・ニューミュージック」の系統ではなく、「クラッシック・童謡」系統であると
ワタシは考えます。
ですからやはり、「あの場所」でブレスをするのはおかしいと思うわけです。
さらにワタシは子供達への影響も懸念しています。
ただでさえ歌詞が難解な「君が代」。
「さざれ石」などという言葉を知っているとは思えない幼い子供がこの曲を覚える際に
「あの場所」で息継ぎを覚えてしまうと、歌詞の内容を知りたいと思った子供達からの
大人への質問も…
ねえ。
「君が代は」ってどういう意味?
「千代に八千代に」は?
「さざれ」は??
「石の」は??
といったことになりかねません(ちょっと極端ではありますが)。
そんなのどうでもいいじゃんか。
そのうち気付くよ。
という方も多いと思います。
かく言うワタシも、上記のような疑問を持つ子供がいたとしても、大人に尋ねたり
自分で調べたりすることで疑問が解決し、誤った区切り方であったことに
気付き、正しく内容を理解してくれると考えます。
しかし、なんの疑問も持たずに歌い続ける子供もいると思うわけです。
それはそれで生活にはまったく支障が無いとは思うのですが、
ワタシとしては国歌を「誤った言葉の区切り方」で歌い続けてしまう、
また「誤った言葉の区切り方」であることに気付かないまま歌い続けるのは
国民としてどうなのかと思ってしまうわけです。
そういった事態を少しでも防止するために、公の場で、しかもTV中継まであるような
状況で国歌を歌う人には細心の注意を払って歌って欲しいのです。
とまあ、偉そうに書かせていただきましたが
代表で歌う人達は、クラッシック歌手や演歌歌手ばかりではない。
そういった人達にそこまで求めるのは酷であるし、また求めるべきではない。
と言われる方ももちろんいらっしゃることでしょう。
確かにそうかもしれません。
ワタシの言っていることは、非現実的と言われてもしかたないと思う部分もあります。
突き詰めて考えれば、代表で歌う人を「選んだ人」がいるわけです。
「選ばれた人」は「選んだ人」の意向に沿った仕事ができる人として選ばれるわけで、
ワタシが「選ばれた人」の歌い方をとやかく言うのは矛先が違うのかもしれません。
だとしたら「選ぶ人」に言わせていただきたいことが。
国際的な場所で代表として国歌を歌う人は、国民の代表として歌うも同然。
お客さんの確保も大切でしょうが、国歌を正しく歌える人を選ぶべきではないですか?
細かいことだと思われる方が多いと思いますが、文化とか言葉とか伝統とかを
正しく伝えるというのは、細かいことの積み重ねなのではないでしょうか?
それを怠ってしまうと、日本の素晴らしさがどんどん消えてしまいそうな
気がするのです。
スポーツでの国歌斉唱を観てこんなことに思いを馳せる人間は日本中を
探してもワタシくらいでしょうが、ついつい考えてしまうワタシなのです…。
<お断り>
「君が代」を国歌とすることについて様々な意見・考えがおありだと思います。
それを承知の上で、今回は「君が代」=「国歌」という立場で記事を
書かせていただきました。
勝手ではありますが、ご了承ください。
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