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2011年5月

2011年5月31日 (火)

ある意味で「スペシャル」

どうも。
本日もまた興奮冷めやらぬ男・にゃん太郎です。

行って来ました~。
三度目の、レ・ミゼラブル

今日の舞台については、カーテンコールから語らなければなりません。

初めはいつもどおりのカーテンコールでしたが、本日のマダム・テナルディエであった
森公美子さんが、途中話し始めました。

はて?
平日の昼間だというのに、何事?

と思ったのですが。

森さん) 本日はご来場、誠にありがとうございます…。

明らかに涙声。

森) あ、泣きそうだ…。

森) 今日は二階席に…、福島から都内に避難されている…、120名の方々が…。

森) お見えになっています…(落涙)。

劇場に、割れんばかりの拍手。

もちろん、被災者の皆さんへの激励の。

以降、宮城県出身の森さんが切々と思いを語り、そして別所ジャンも。

そしてその後また、「民衆の歌」に乗ったカーテンコールが再開。

と、その時。

二階席上手から。

ありがとーーーーーーーーーーーーーうっ!!!!

という歓声が。

もちろん、福島県の方の叫び。

なんかですね。

この声を聞いた時グッときちゃいまして、危うく涙がこぼれそうになりました。

この場面に立ち会えただけで今日は満足です、ワタシ。

被災者の方への同情とか。

招待した主催者側の配慮への感動とか。

そういう単純なものではなく。

素直に

人と人とは繋がってるんだな

と、思いました。

震災以来、ワタシがしたことと言えば一握りの義援金を納めたことくらいですが、
今日あの場所で、期せずして福島県の皆さんと一緒に舞台の感動を味わい、
共に時間を過ごせたことも、結果として一つの「ワタシにできること」だったのでは
ないかとも思いました。

…。

えー、さて。

では本編の話を。

本日は二階席F列33番で観劇。

ええ。

   「 お 一 人 様 」 で す が 、 何 か ?

三度目ともなりますと要領を得てきまして、今日は高いところからステージの上を
隈なく眺めさせてもらいました。

なんといっても25年間各国で演じられてきたこの演出は今回で最後。
存分に目に焼き付けておかなくては(個人的には「パリ」のセットが好き)。

そんなわけで、どちらかというと今日は「歌(曲)よりも芝居」だったのですが。

それでも印象に残った「歌」が、エポニーヌの笹本玲奈さんとコゼットの折井理子さん。

まず、エポニーヌ。
今まで観たのは知念里奈さんと島田歌穂さん。
CDで聞き馴染んでいるのは新妻聖子さん。

皆さんそれぞれ「純粋で一途な」エポニーヌを見事に歌い上げていらっしゃいます。
(島田さんはそういったものを超越していますが)

今日の笹本玲奈さんは、それとは少し違う感じ。
もちろん「純粋で一途」なのですが、先のお三方には無いドスが効いている感じ。
落ちぶれた生活、届かない想い。
「こんなはずじゃなかった」という「やさぐれ感」が強めに出ていました。

良い意味でエポニーヌの「陰」が表現されていて

あ、これも有りだな。

と思いました。

そしてコゼットの折井さん。
とにかく、高音を一発でスカーッと上がり切ってくれることが実に気持ち良かったです。

あと、番外編として森公美子さん。

ワタシの中では、マダム・テナルディエは森さんの右に出る方はいないですね(笑)。
ご存知のように歌は文句なし。
細かい演技も実に秀逸で、ことあるごとに客席から笑いが起きていました。

ただあまりにもインパクトが強く、細かい部分でも笑いを取るため主役級を喰ってしまう
感があり、好みは分かれるかもしれませんね。

とまあ、こんな感じですか。

本当はまだまだ何度でも観たいですが、もはやチケットが手に入りませんので無理。
そもそも、経済的にも無理ですね…。

あ。
そうそう、最後に。

ガブローシュが命を落とすシーン。

ワタシはやはり二年前に観た「チビ犬でも…」のバージョンの方が好きだなぁ。

では、おしまい。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

観劇前に、浜松町にある芝離宮恩賜庭園に行って来ました。

Img_5434  

 

 
曲がってますね…。

 

 

 

Img_5440  

 

 
これも?

 

 

 

Img_5437  

 

 
亀!

2011年5月29日 (日)

結果オーライ

どうも。
31日にまたレ・ミゼラブルを観に行く男・にゃん太郎です。

さて。
お忘れの方もいらっしゃるかもしれませんが、一月以上前に睡眠時無呼吸症候群の
検査を行ったワタシ(こちら参照)。

忘れた頃になって、ようやくその結果が手元に届きました。

検査した四月中旬といえば、まだまだスギ花粉に苦しんでいた時期。

この時期は毎年、呼吸ができず苦しくなって目が覚めたり、夢うつつの中イビキを
かいていることが自分でわかったりという夜が続く日々なので、良い結果が出ようハズも
無いわけですが…。

Img_5430

 

 

 
 
結果はこちら。

 

 

 

 

 

医学的に良いのか悪いのかはわかりませんが、とりあえず「軽症」に印が付いています。

個人的には「あの時期でよくこんな結果で済んだな」という「良」の結果だと。

「簡易検査」キットでの結果をどの程度信じて良いのかという疑問も沸きますが、
一つの目安としては及第点なのかと思います。

しかしながら、検査を受けた14人の中で呼吸停止時間はワタシの116秒が最長でした。

10ページ以上の検査結果の資料があるのですが、妙チクリンなグラフがたくさん
出ているだけで解説が無いので素人のワタシにはチンプンカンプン。

上記資料以外で少しわかったのが

Img_5431_2

 

 

 
 
こちら。

 

 

 

 

 

計測時間全体における回数ですね。

弊社内では一番下の「AHI」というのが10.0以上の人は再検査あるいは要治療とする
という噂ですが、まだはっきりとした結論は出ていないようです。

ま、再検査なら再検査で構わないのですがね。

いま検査すれば、確実にもっと良い数値が出ますので。

ただ、再検査は自費だというお話ですが。

自費などと、無慈悲な …。

なんちゃんって。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

本文に関係ありませんが、久々に空の写真。

Img_5413  

 

 

 

 

 

 

Img_5420  

 

 

 

 

 

 

 

 

Img_5425  

 

 

 

 

 

 

Img_5426  

 

 

 

 

 

 

Img_5428  

 

 

 

 

 

 

Img_5416  

 

玄関から東京スカイツリーが

 
見えることが発覚。 

 

 

一番上の写真で言うと

Img_5413_2

2011年5月23日 (月)

せきぐちゆきさん PV情報

どうも。
現在歯科と皮膚科を掛け持ち中の男・にゃん太郎です。

さて。

久々に、せきぐちゆきさん情報を。

6月8日発売のニューアルバム「素顔~愛すべき女たち~」に先立ちまして、
収録曲「化粧」のプロモーションビデオが見られるようになりました。

下の静止画だとちょっと怖そうに見えますが、怯えることなく是非お聴き下さい(笑)。

ゆきさんらしい作品に仕上がっていますし、ワタシは彼女の曲はもろん、彼女の声が好き。

2011年5月17日 (火)

食後の

食後の

どうも。
今日は何となく気分が塞いでいる男・にゃん太郎です。

さて。
サービスエリアの馴染みの店員さんが下さったコーヒー。

満面の笑みで感謝を述べつつ頂いたものの、ワタシはコーヒーアレルギー。

さて、どうしたもんですかね…。

2011年5月16日 (月)

観戦に

観戦に

どうも。
午前9時07分、市原臨海球場に出没中の男・にゃん太郎です。

はい。
写真の通り、高校野球の関東大会観戦です。

こういうレベルの試合を生で見られるということに加え、
運良くご贔屓の習志野高校戦。
イヤでもテンションがあがります。

強めの風にはためく旗は半旗。

今大会は鳴り物無しの応援ですが、存分に楽しみたいと思います。

ちなみに相手は、東海大学付属甲府高校。

好試合となりますように

2011年5月14日 (土)

圧巻のステージ

♪ ラマルクはぁ~ 重病ぉだぁ~ なのぉーかとぉーもぉつぅまい~ 

♪ 怒ぁり地に満ぃちてー 裁きの日迫る~ 殺せ肥ぉーえたぁー ブタどもぉ~

♪ 築けいぃまぁー   バァリィケェーーーーーーーーーーーーーーィドゥ!!!

…。

ということで。

どうも。
何事にもすぐに影響を受けやすい男・にゃん太郎です。

…。

ええ。

11日の水曜日、近しい友人たちと「レ・ミゼラブル」(以下レミゼ)を観に行きまして。

まずは、感想をば。

…。

すー(←息を吸う音)

……。

更に、すぅーーー(←しつこいようですが、更に息を吸う音)

………。

もんんんんんんんんんんのすごっっっくっ

    良かったーーーーーーーーーーーっっっ!!!!

…ふぅ。

では、気を取り直して。

ワタシにとって二度目の「レミゼ」。

前回観に行った際には正直なところ全然「付いていけない」感じでまったく良いと
思わなかったのですが(その際の感想はこちら)、今回は本当に楽しめました。

我ながら、同じ作品を見たとは思えません(笑)。

その理由は二つ。

①前回後にレミゼのCDを購入しイヤと言うほど聞いている。

②この日はスペシャルキャストだった。

各々を解説しますと。

まず①。
前回まったくピンとこなかった最大の理由は、物語についていけなかったから。
今回はそれが解消されただけでなく、曲も全て把握できていたので併せて演技も
楽しむことができました。
また以前よりも圧倒的な精神的余裕があったので、歌っていない人やセットの細かい
細工も多少楽しむことができました。
一言で表現するなら「舞台として楽しめた」ということでしょうか。

そして②。
いや~、この効果は絶大でした。
以下が主要キャストの皆さん。

ジャン・バルジャン  今井清隆
ジャベール       鹿賀丈史
エポニーヌ       島田歌穂
ファンテーヌ       岩崎宏美
コゼット         神田沙也加
マリウス        石川 禅
テナルディエ      斉藤晴彦
テナルディエの妻    鳳 蘭
アンジョルラス     岡 幸二郎
司教           林アキラ

皆さん本当に素晴らしく、今井さんの「彼を帰して」と鹿賀さんの「星よ」は格別だったの
ですが、それを超え「度肝を抜かれた」のは島田歌穂さんでした。

残念ながら島田さんの恐ろしいほどの「凄さ」を表現できる言葉をワタシは
持ち合わせていませんが、あえて言うなら…。

  島 田 歌 穂 さ ん は エ ポ ニ ー ヌ

なんです。

エポニーヌを「演じてる」とか「なりきってる」とかではなく、「エポニーヌ本人」なんですよ。

島田さんの実年齢を感じさせない容姿とか、歌が上手いとか、「恵みの雨」の「花育…」の
囁き具合が絶妙とか、とにかくそういう「演劇」という次元を超越していると思いました。

その他にも…。

岡さんのアンジョルラス、良かったです。
「良い声」の一言ではくくれない「人を引き付ける声」と高い身長が、カリスマ性の
要求されるアンジョルラスにピッタリでした。
記事始めに書いた「築けいま バリケード」には痺れました。

あとアンサンブルでは「ワン・デイ・モア」。
いや~、凄かったですね。
実に素晴らしかったです。
個人的には最後の「民衆の歌」よりこちらの方が全然キマシタ。
立ち上がって「ブラボー!」って叫びたくなりましたもん(笑)。

そうそう。
プチ・ファインプレーショーを「リトルコゼット」ちゃんにあげたいです。
齋藤真尋さんというお名前のようですが、歌も上手かったし、コゼットの可愛らしさが
よく出ていたと思います。

と、まあ。
書き出したらキリがないほど、とにかく今回は100%満足のステージ。

今回のキャストは二度と見ることはできないでしょうが、キャストにこだわることなく
ぜひまた観に行きたいです。

♪ あぁーーーーしぃーーーーたぁーーーーがーーーーっっっ!!!

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

とてもマニアな話ですが…。

「裏切りのワルツ」の最後にバルジャンとリトルコゼットがはしゃぎながらクルクル回る
ところからパリに舞台が変わって行く際のオケと、その後「乞食たち」の歌がガツーンと
入るところがたまらなく好きです…。

2011年5月11日 (水)

白と黒

白と黒

区切りの1000記事目はパンダ!

にゃん太郎、41歳♂。

一人で行くのは少々勇気がいりましたが、一人の大人、結構いました。

のんびりパンダ。

ほぼ、「たれぱんだ」状態でした。

次はパンダに産まれてこよう…。

2011年5月10日 (火)

その頃の仕事

当日のワタシの仕事は先日ご報告しましたが、今日はあの頃の全体的な仕事の話を。

まず、当日の同僚達の様子。

と言ってもすべてを把握しているわけではないので、もっとも気の毒だった同僚の話を
したいと思います。

その人は土浦市内に向かっていたのですが、地震発生後間もなく配送先に到着。

連絡を取った理由は不明ですが、とにかく到着直後に配送センターから
「スタンド設備の安全が確認が取れるまで、荷下ろしはせずその場待機」の指示が出た
との無線がU社から入り、乗務員はそれに従いました。

が、しかし。
その後電話回線のパンクで配送センターと連絡が取れなくなり、U社の担当者は
荷下ろしの許可を出すことができず、現場で店員さんに「下ろしてくれ」と言われている
乗務員ももちろん下ろすことはできず…。

そうこうしているうちに18時を回り、業を煮やした店員さんが「もういいから持って帰れ」と。

で。
結局は荷下ろしせずにそのまま車庫に戻り、翌日の朝一に再配送して荷下ろし。

はて?
一晩で「設備の安全確認」ができたとは到底思えませんが。

いま「翌日の朝一」と書いたように、信じられないことに翌日も普通に仕事でした。

一つ違ったことは、停電と電話回線パンクのため、通常は前日に来る「配車表」が
来ていなかったこと。

それゆえに「ぶっつけ本番」の配送となりました。

3月12日。
全員が5時に出勤。

配送先決定の電話が来て、一番車が出て行ったのは5時40分でした。

その後随時電話にて「○○号車は××SSへ」との指示が出され、皆が出発。
各々が荷おろし終了後に無線連絡し、次の仕事を確認するという形になりました。

が、しかし。

ここで物申させていただきますと。

出荷基地の綿密な安全確認はされていない(と思う)。
配送先の設備状況や安全確認はされていない(と思う)。
なによりも、配送ルートの道路状況や安全確認ができていない状態で現場に向かわせる
配送センターの姿勢は、どーーーーーーーーーう考えても、間違っています!!!!!

これで事故が起きたら「現場のせい」ですからね。
かないませんよ、ホントに。

こんな我々の不満には関係なく、地震の翌日からガソリンスタンドの前には
気が遠くなるような乗用車の長い列がでたわけですが…。

ここで今回の燃料(ガソリン・灯油・軽油)品薄状態について、ワタシの少ない知識と
推測でご説明しましょう。

申し上げておきますがこれはワタシ個人の見解であり、正しいかどうかはわかりません。

どうかそれをご承知のうえでお読み下さい。

まず、今回の場合は燃料不足の発生した地域を三つに分けることができると思います。

①東北地方(主に岩手・宮城・福島の三県)
②茨城県
③南関東地方(東京・神奈川・埼玉・千葉の四県)

①の地域は出荷基地が震災で壊滅的な打撃を受け、出荷そのものが長期にわたり
不可能となりました。
またそれだけでなく、津波・地震・停電などによりガソリンスタンドが機能しなくなった
ために、お店に残っていた限られた量の在庫分の販売もできなくなりました。

②の地域は少し複雑です。
この地域の多くを普段カバーしている出荷基地は茨城県内にあります。
その基地は設備の被害はそれほど大きくなかったようなのですが、
やはり一時は出荷不能に。
そこに加えて港が損傷してタンカーが着けられなくなり、出荷が可能になった後も
原油が入ってこ来なければ貯蔵分に頼るしかなく、見通しがつくまでは出荷量を抑えて
いたのではないかという…。という、これはあくまでもワタシの推測。
そして、普段この出荷基地から配送されていないエリアは東北及び南関東の出荷基地で
カバーしているのですが、東北地方の基地は先のご説明の通りですので配送が
手薄になったと考えられます。
そんな中、南関東からの出荷でカバーしているエリアは他のエリアに比べれば
燃料が手に入りやすかったのではないかと思います(あくまでも比較論ですが)。

そして③の地域。
ワタシに言わせれば、この地域の燃料不足の理由がもっとも「タチが悪い」もの。
いくつかある出荷基地をトータルで見た場合、たしかに二日間ないし三日間は
明らかに出荷量が落ちたと思います。
しかし、地震が起きたのは金曜日。その直後の土日に遊びに出かけた人はさすがに
少ないと思われ、月曜からはいくらか量が減っているとはいえ出荷はされている。
さらに通常のガソリンスタンドの在庫量を考えると、人々が普段どおりに給油を
していれば、あのような燃料不足は起きなかったとワタシは考えます。
そう。つまりこの地域は純粋に燃料が不足したのではなく、買占めで燃料が
不足したのだと思います。

と。
ここまでは燃料不足となった原因を推測してみましたが、以降は現場の混乱振りを
ご紹介しましょう。

まず地震後の土日。
我々が普段利用する高速道路が通行止となっただけでなく一般道でも段差ができていて通行できなかったり、倒壊の危険があって通行止となっている橋があったりしました。

特にワタシ達にとって痛手となったのは、京葉道路と東関東自動車道の両方が通行止。千葉県と都内を結ぶ大動脈が使えなくなったため、その代わりとなる国道14号・357号に
車が溢れて道路としての機能を失っただけでなく、接続している周辺道路もほぼ麻痺。

普段なら1時間10分程度で可能な「積み場~行徳」の配送に八時間かかりました。
(地震当日に千葉県内に残った人が都内へ移動を始めたことが原因だったよう)

お陰さまでこの辺り以外の道路に極端な混乱はなかったのですが、
ご存知のようにガソリンスタンドの周辺は大渋滞。

我々がお店に寄り付けないだけでなく、ようやく辿り着いても店内は混雑を超え
もはや混乱の呈。
そのためになかなか入ることができませんでした。
そしてようやく入って荷下しを終えても、今度は混乱の間隙を縫ってお店を出るのに
一苦労といった状況でした。

3月14日の月曜日。

内勤のワタシに同僚がくれたメールをご紹介しましょう。

着信時刻は4時38分。

こんな時間から ルー○16市原(スタンド名) 大行列が あらら

このお店の在庫状況がどうであったかは知るすべもありませんが、弊社がこの日に
配送に行ったお店のほとんどは、我々到着時にはガソリン在庫切れ。
お店の多くは、混乱を避けるために閉店していました。

そして火曜日。
節電により幹線道路の街灯が消え、24時間営業のガソリンスタンドの照明も消えた
暗い道路を積み場に向かうようになったこの頃から、事態は徐々に変わっていきます。

小さなお店が在庫切れであったことに変わりはなかったのですが…。

今だから言えますが。
少なくとも我々が回っていた幹線道路沿いの大きなお店は、いくらか在庫に余裕が
ある状態でお店を閉めていました。

弊社の前のガソリンスタンドにパトカーが来て、周辺道路の渋滞解消のために
「営業自粛」を呼びかけていたこともあったので、混乱防止のための閉店でも
あったでしょうが…。

ただ。
なんとなく、それだけではない雰囲気も漂っていました。
あくまでもワタシの感覚ですが、大手特約店(販売店)には御上から「緊急時用燃料」として
在庫管理の密命が出ていたのではないかと。

まあ、あくまでも想像ですが。

理由はどうあれ。
この頃「本当に必要な人」に燃料が行き届かなくなり始め、世間が殺気立ってたことは
紛れも無い事実でした。

社内で

信号待ちの時に後ろの車の人が降りてきて配送先を尋ねられた

とか、

隣りの車の助手席から声をかけられたが聞こえないフリをした

などの声が挙がり始め、「千葉県某所でタンクローリーが囲まれた」というニュースも
テレビで流れました。

また、15時以降の配送希望になっていたショッピングモール内のお店から

(暴動対策の)私服警官が到着したから、もう来てくれても大丈夫

と電話がかかってきたり

積載表示板をすべて「軽油」にして来て欲しい

と要望があったり…。
Image_2   

 

 
(←積載表示板) 

 

 

明らかな異常事態に、現場の同僚は大変な思いをしたようです。

また24時間営業だったお店が閉店したことにより

○○SS現着しましたが、誰もいなくて荷下しできません。

という無線が飛び交うようになりました。

お店が営業していようがしていましが、ローリー到着と共にどこからともなく車が集まり
スタンド前に渋滞が発生。

アッという間に周辺は大混乱に。

内勤だったワタシはこういった事態を避けるべく、前日のうちに店員さんの出勤時間確認
の電話をしたり、ローリーが路上待機できないようなお店に「間もなく到着」の連絡をしたり
していたのですが、お店側は「営業してますか?」「在庫ありますか?」の問い合わせに
辟易している状態で電話は無視。
こちらはこちらで大変でした。

さて。
震災からほぼ半月後の3月24日。
南関東の燃料事情はすっかり安定し、反動でむしろ例年よりヒマになっていました。

そんな中ワタシは北茨城市へ配送に行ったのですが、震災後に初めて走った
常磐自動車道は、北へ行くほど道路の状態が悪くなりました。

ペットボトルが飛び上がるほどの段差、崩落した路肩、ウネウネと波打つ路面。

周囲の景色も様変わりしており、家々の屋根にはブルーシート。
傾いた塀、どこかから運んできたと思われる瓦礫の山々を横目に見ながら、
被災地・北茨城市に到着。

事故渋滞のためにワタシの到着が二時間近く遅れたこともあってか、お店の前だけでなく
周囲の路地までビッシリの車、車、車。

ワタシがローリーでお店に近づくと、待ちくたびれて車から降りていた何十人という
お客さんから「おー」という軽い歓声と拍手が。

皆さんの熱い視線を感じながらの荷下しとなりました。

…。

といったところが、概ねの当時の状況でしたが。

今回の騒動によって考えさせられたことはたくさん有りましたが、仕事がらみで
あえて一つだけ挙げさせてもらうなら「車の燃料はどうなるのか?」ということ。

昨今「電気自動車」が注目されていますが、震災でオール家電のお宅を始め「電気」に
頼りすぎている今の生活の問題点が浮き彫りとなりました。

ようやく軌道に乗った「電気自動車」。
今さら別の路線を模索も難しいでしょうし、今後の舵取りが注目されます。

…。

究極はやはり、ソーラーカーですかね…。

2011年5月 1日 (日)

その日のワタシ

3月11日、ワタシは乗務でした。
東北地方を中心に東日本を揺るがしたあの地震が起きた時、ワタシは積み場に
向かうために高速道路を走行していました。

場所は館山自動車道下り蘇我インターを少し過ぎた辺りで、速度は80km/h弱。

ラジオは文化放送。
「大竹まことゴールデンラジオ」の生放送中で、出演は大竹まこと氏と室井佑月氏。

そして「その時」は、ラジオの緊急地震速報も、携帯電話の緊急地震速報もないまま
突然にやって来ました。

ラジオの大竹氏が揺れ初めを告げた時には「いつもと同じ」感じの揺れなのかと
思いましたが、取り乱してこそいないものの激しくなった揺れを実況する氏の声の
緊迫感で、その揺れがにいつもとは明らか違うものであることが伝わってきました。

「伝わってきました」というどこか他人事のような表現であるのは、ローリー運転中の
ワタシにはその揺れがほとんど分からなかったからです。

率直なところ「言われてみればちょっと走りづらいかな」程度の感覚しかなく、ラジオを
聞いていなければおそらく地震に気付かなかったでしょうし、仮に違和感を覚えて
地震に気付いたとしても、震度5~6クラスの地震だとは想像もできなかったでしょう。

そしてそれは、ワタシのそばを走っていたトラックの運転手達も同じだったよう。
乗用車が軒並み路肩に停まったにもかかわらず、停車したトラックはゼロでした。

そんな状況下、路肩に停まった乗用車から驚いた表情で飛び出し、進行方向右側、
方位でいうと西を見ている人がいました。
その時は激しい揺れに驚いて車を降りたのかと思いましたが、今になればコスモ石油の
爆発の瞬間が見えたのかもしれません。

それよりもワタシは、その乗用車の隣に立っていた車間距離確認用の標識が
「根元から折れるのではないか」と思うほどの勢いで揺れているのを見て驚愕したと
同時に、その状況が理解できず、一度は「風のせいか?」と思いました。

なぜかと言えば、激しい揺れを大竹氏が告げてからはかなりの時間(推定1分近く)が
経っており、地震に対するワタシの中の常識では、標識が折れそうに見えるほどの
揺れがそんなに長時間続くとは考えられなかったからです。

ワタシの記憶が正しければ、ラジオはこの頃に「まだ揺れている」というスタジオ
からの地震報道に変わり、宮城県で震度7を観測したとの一報が。

それに平行して、車載の無線機ではワタシ達の仕事を統括しているU社から緊迫の声。
その内容は、強い揺れの実況と各乗務員に落ち着いた対処を求めるものでした。

その後「震源地は宮城県沖」「マグニチュード8.2(だったでしょうか?)(初報時)」
「東北地方の太平洋側は軒並み震度6強~弱」等の続報が流れましたが、
揺れの大きかった地点があまりにも多すぎたためか、ワタシがいた市原市付近、
あるいは自宅のある四街道市や実家がある我孫子市の震度は一向に発表されません
でした。

そのせいもあり、地震の揺れそのものを体感しなかったワタシはこの時点では
「どうやら関東も結構揺れたらしい」という程度の感覚で、「強い揺れ」という認識では
ありませんでした。

それでも「念のために」。
兼ねてより大地震発生時に迅速に連絡できるように作成してあった安否確認のメールを、

携帯電話の「未送信」フォルダから家族や近しい友人に一斉送信したのは14:50。

この時はまだエラーにならず、すぐに送信できました。

最初の返信を受信したのが14:54。
携帯電話の通話やメールが混乱しだしたこの頃、ワタシは市原インター出口付近に
差し掛かりましたが、出口手前の電光表示板には「地震発生通行止 ここで出よ」の
表示が。

ワタシが目指していた出口は市原インターの一つ先にある「姉崎袖ヶ浦インター」。
遠くに見える市原出口への分流地点を見ても強制流出させられる気配はなく、
結局ワタシは表示板の指示に従わず、高速を降りることなく姉崎袖ヶ浦を目指しました。

決断の理由は「市原から先、一般道を走るのが面倒くさい」という単純なもの。

しかしながら。
いま思えば、この時のワタシの判断はプロドライバー失格。

いくら揺れの激しさを実感していなかったとはいえ、ラジオで大きな揺れを
実況していたにもかかわらず路肩に停まらなかったことも含め、恥ずかしい限りです。

また、強行走行中に地震により道路が陥没したり高架部分が崩落したりしたりという
ことを考えると、恐怖も覚えます。

さて。
揺れが収まって一段落した(と思われる)この頃から、前出のU社が無線で各車に
安否確認の連絡を取り始めましたが、ワタシは電波状況の悪い地帯に入り
無線が途切れました。

不思議なことに、この辺りから積み場に到着するまでの20分弱の間、ラジオで
どのような報道をしていたのかまったく覚えていません。
あの時は自分が動揺しているとは感じませんでしたが、ひょっとしたら自分で
気付いていなかっただけでそれなりに動揺しており、いつもと違う精神状態だったの
かもしれません。

覚えているのは「とにかく今は、積み場に向おう」「積場は出荷停止だろうな」
「出荷停止になっていたらどういう経路で車庫に戻ろうか」等を考えていたということ。

そんなワタシはやがて「姉崎袖ヶ浦インター」に辿り着き、料金所を通過。
昔なら料金所の係りの方に揺れの状況など尋ねることができたのですが、ETCとなった
今ではそこでの情報収集はできません。

ETCゲート通過直後、徐行しつつ入口の電光掲示板をバックミラーで確認すると
やはり「地震発生 通行止」の表示が。

走行してきた経路も、そして目の前の景色も普段と変わりはありませんでしたが、
ラジオや無線からの緊迫した状況から考えると簡単に通行止が解除されるとは
考えられず、出荷が可能でも不可能でも、車庫までの帰り道に高速道路を使用する事は
あきらめました。

ちなみに。
出荷可能であってもすでに「車庫に帰る」ことが決まっていたのは、これから積む油の
配送先が弊社の車庫だったからです。

さて。
それから数分すると、相変わらず電波状況の悪い無線から同僚が弊社の車庫を
呼ぶ声が聞こえました。

しかし、何度か呼びかけるも応答なし。

のんきなワタシは「地震対応の電話にでも追われて、無線に出られないのかな?」
などと思いつつ、信号待ちの間に(違法ですが)念のため車庫にいる所長の携帯電話に
「大丈夫でしたか?」とメールを。

その後も車庫を呼ぶ同僚の声を聞きながら積み場に入り出荷場所まで辿り着くと、
係員から「現在出荷停止中」の説明と「車から降りて事務所建物内で待機」の指示が。

車から離れると無線が取れなくなるため、自分の安否と現在の状況を伝えるべく
ワタシはU社に無線連絡。

ワタシ) U社、取れますか?
      ○号車です。どうぞ。

U 社) U社です、どうぞ。

ワ) お疲れ様です、○号車です。
   ただいま3回目積み込みのため、積み場現着。
   現在出荷停止中のため、車から降り…

と、この時。
停車中にもかかわらず、ハンドルに掴まっていなければ姿勢を維持できないほどの
激しい揺れに襲われました。

本震の約30分後に発生した茨城県沖を震源とする、余震です。

ワ) いま激しく揺れています…!
   現在出荷停止中。
   車から降りて事務所内で待機するよう指示が出ていますので、車を離れます。
   以降無線には出られませんが、状況が変化したらこちらから連絡します…!

U) 了解!
   揺れが収まりしだい、現場指示に従って下さい…!

この揺れを体験し、ワタシは初めて事態の大きさを実感しました。

普通に考えれば、これは余震。
となると、本震の揺れは今の揺れを大幅に上回るものだったはず…。

ここで、先程同僚の呼びかけに反応が無かった車庫のことを思い出し、さらには
所長からメールの返信が来ていないことにも気付きました。

車庫の建物はそれは粗末な木造平屋建てであり、耐震基準などどこ吹く風。
今起きた余震を上回る強い揺れに、到底耐えられとは思えません。

すぐさま車庫に電話をかけるも、回線パンクで繋がる気配はまるで無し。
何度挑戦しても結果は同じで、どうしようかと思案していたところメールを受信。
相手はなんと、所長でした。

「ファイルなどが棚から落ちました。余震が凄い」

とりあえず車庫が無事なことも分かったので事務所へ移動しようとすると、
今度は所長から電話がかかってかました。

話しを聞いてみると、建物は無事とのこと。
無線が繋がらないのは停電のためで、もちろん電話も使えないということでした。

弊社乗務員の安否と現状を尋ねられたワタシは、U社が行っていた安否確認の無線で
把握できた内容を伝え、事務所へ移動しました。

そう、そしてこの時。
車を降りる際に遥か遠くに炎が見えたものの、気にも止めなかったのですが…。
(工業地帯のため、どこかの工場の煙突から炎が出ているのはよくある光景なので)

事務所に入ると積み場の係員が二人、他社乗務員が一人、そして弊社乗務員が一人。

彼らが見つめるテレビに目を向けた時、ワタシは目を疑いました。

「宮城県 予想される津波の高さ 10m超」

その他にも8m、6m。

ワタシ達が見ていた民放がどこの局だったかわかりませんが、画面はどこかの港を
映していました。

初めは何の変化も無い映像でしたが「少し水位が上がったかな?」と思うや否や
見る見るうちに海は陸に上がり、物は流され、ガソリンスタンドが呑み込まれていき、
その圧倒的なパワーにワタシは言葉を失うと同時に、目にしている映像がいままさに
現実として起きているのだということを到底信じることができませんでした。

その他にも「お台場で黒煙」という映像が流れ、更に追い討ちをかけるように
「市原市で工場炎上」という映像が。

そしてヘリコプターからのその映像に、同僚とワタシは「あ!」と声を挙げました。

レポーターは「どこの工場か不明」と言っていましたが、炎上する工場の片隅には
見慣れた煙突。

その工場はどう見ても、我々が頻繁に出入りしているコスモ石油ではありませんか。
(お陰さまで爆発時には弊社社員は現場に居ませんでした)

そう。
さきほど車を降りる際に遠くに見えた炎は、炎上しているコスモ石油だったのです。

思わず事務所の外に出ると、いつの間にか予報通り強い夕立が降り始めていました。

ワタシがそのまましばらく10km先の炎を見ていると、一瞬その炎が一際大きくなり、
黒い雨雲を真っ赤に染めました。

その数秒後には、地響きのような爆発音が到達。
ワタシはただ、呆然とするしかありませんでした。

そしてその頃だったと思いますが、積み場の構内にサイレンが鳴り
「内房にも大津波警報が発令された」という放送が。

目視こそできませんが、積み場の目と鼻の先は海。

にもかかわらず、係員は一向に避難・誘導する気配はありません。

さすがに10m超ということはないでしょうが、テレビで津波の破壊力を目の当たりにした
ワタシは危険を感じ、わざとらしく「ここ、すぐ海ですよね?」と訊いてみましたが
係員からは「そうですよ」という返事のみ。

さらに言えば、避難どころか「ウチはいつでも出荷できるよ」というスタンスで
「あれだけの強い揺れがあり、まだひっきりなしに揺れが来るこの状況で、まともな
設備点検無し(と思われる)によくそんな事が言えるなあ」と二度ビックリでした。

この頃が何時くらいだったのか分かりませんが、この後の配送を行うのか行わないのか
まだ何も決まっておらず、ただ時間を潰している状態でした。

やがて紆余曲折の末「配送中止」が決定したのは17時過ぎ。
無線でU社に連絡すると、気をつけて「車庫に戻って下さい」とのこと。

その時に

え?車庫に戻るの?

とワタシが思った理由は

① 大規模災害の際には車の利用を控える
② 工業地帯のこの辺りは通勤ラッシュの渋滞がひどい地域。
   現在は17時を回り一番混む時間帯であり、更に
地震の影響で尋常ではない
   渋滞が予想される。
③ この状況下で明日配送があるとは思えないので、無理に今日帰る必要は無い。
   (トラックはに非常時の食料と飲料が積んであり、暖房やラジオの心配も無い)
④ 万が一明日配送があっても、出荷はいま居る場所から行われる

と言う訳で、「いま」が一番動きたくない時間であったワタシは所長に電話してみることに。

しかし、なんとか繋がった電話の向こうからは「帰って来い」との無情の指示が。

17時半前。
止む無く動き出したのですが…。

先に書いたように高速道路は利用できないため、帰路の経路は極めて限られます。
熟考の末、少ない選択肢の中から「正攻法の国道16号線経由」をワタシが選んだのは「どうせどこを走っても動かないなら、走り慣れた道を」という理由でした。

案の定16号線に出た瞬間から大渋滞となったのですが

2011031117430000  

 
遥か彼方で炎上する

 
コスモ石油を見ながら

 

 
ダラダラと20分程度は流れた
でしょうか?

空いていれば車庫までは1時間の道のり。
この辺りでは「3時間くらいはかかるかなあ」と思っていたのですが、結果はそれを
大きく上回るものでした。

というのも、この後パッタリと動かなくなりまして。

この頃になるとメールがいくらか繋がりやすくなったのか、ずっと前に送信されたと
思われるメールがまとめて送られて来たりし始めました。

「これ幸い」と渋滞(というかもはや停車状態)を利用して、心配して連絡をくれた
宮古島やら高松やら広島の友人、さらには新幹線に缶詰になっている友人などと
連絡を取ったのですが、いかんせん、一時間経ってもほとんど居場所が変わらない
という状態。

途中、問題のコスモ石油前の交差点が通行止になっているという情報は入手したの
ですが、車が動いてくれないことには迂回もできないわけでして。

じりじりと動き出した後、なんやかんやと迂回を重ね、その先々で渋滞にはまり…。

23時過ぎ。
停電が解消せず、寒さに震えながら懐中電灯を照らしている所長に迎えられました。

そして「にゃん太郎、今日遅かったから明日6時で良いよ」という声に送られて帰宅。

車庫はいまだに停電中だったのですが、幸い自宅の電気は復旧していました。

まずは風呂に入ろうと思ったのですがセットしてあったタイマーは停電で解除されており
(仮に沸いていてもすでに温くなっていて入れなかったでしょうが)、とりあえずシャワー
だけ浴びることにしました。

ところが。
体にザッと熱いシャワーをかけたた後、桶にお湯を溜め始めると赤水が。

マンションの悲しい現実。
長時間の停電の後には、赤水。

しばらく流せば大丈夫かと思ったのですが、流せど流せど一向に良くならず、
濡らした体が冷えてきてシャワーどころの騒ぎではありません。

もちろん「赤水シャワー」を浴びるという一手もありましたが、体よりも湯沸かし器(?)に
良く無さそうな感じがしたのであきらめました。

そして。

この日最後の行動であったはずの夕食。

食べたのか?食べなかったのか?

まったく覚えていません。

そんなこんなで。

お陰さまで、なんとか無事にワタシの「その日」は終わりました。

皆さんそれぞれの「その日」があったことと思います。

ワタシ達はこの時のことをただ漠然と覚えておくのではなく、経験や教訓として今後に
生かさなければいけませんね。

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ここに書いたワタシの出来事の裏側でも様々なことがあったのですが、それはまた
別のカタチで書かせていただきます。

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