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2011年5月10日 (火)

その頃の仕事

当日のワタシの仕事は先日ご報告しましたが、今日はあの頃の全体的な仕事の話を。

まず、当日の同僚達の様子。

と言ってもすべてを把握しているわけではないので、もっとも気の毒だった同僚の話を
したいと思います。

その人は土浦市内に向かっていたのですが、地震発生後間もなく配送先に到着。

連絡を取った理由は不明ですが、とにかく到着直後に配送センターから
「スタンド設備の安全が確認が取れるまで、荷下ろしはせずその場待機」の指示が出た
との無線がU社から入り、乗務員はそれに従いました。

が、しかし。
その後電話回線のパンクで配送センターと連絡が取れなくなり、U社の担当者は
荷下ろしの許可を出すことができず、現場で店員さんに「下ろしてくれ」と言われている
乗務員ももちろん下ろすことはできず…。

そうこうしているうちに18時を回り、業を煮やした店員さんが「もういいから持って帰れ」と。

で。
結局は荷下ろしせずにそのまま車庫に戻り、翌日の朝一に再配送して荷下ろし。

はて?
一晩で「設備の安全確認」ができたとは到底思えませんが。

いま「翌日の朝一」と書いたように、信じられないことに翌日も普通に仕事でした。

一つ違ったことは、停電と電話回線パンクのため、通常は前日に来る「配車表」が
来ていなかったこと。

それゆえに「ぶっつけ本番」の配送となりました。

3月12日。
全員が5時に出勤。

配送先決定の電話が来て、一番車が出て行ったのは5時40分でした。

その後随時電話にて「○○号車は××SSへ」との指示が出され、皆が出発。
各々が荷おろし終了後に無線連絡し、次の仕事を確認するという形になりました。

が、しかし。

ここで物申させていただきますと。

出荷基地の綿密な安全確認はされていない(と思う)。
配送先の設備状況や安全確認はされていない(と思う)。
なによりも、配送ルートの道路状況や安全確認ができていない状態で現場に向かわせる
配送センターの姿勢は、どーーーーーーーーーう考えても、間違っています!!!!!

これで事故が起きたら「現場のせい」ですからね。
かないませんよ、ホントに。

こんな我々の不満には関係なく、地震の翌日からガソリンスタンドの前には
気が遠くなるような乗用車の長い列がでたわけですが…。

ここで今回の燃料(ガソリン・灯油・軽油)品薄状態について、ワタシの少ない知識と
推測でご説明しましょう。

申し上げておきますがこれはワタシ個人の見解であり、正しいかどうかはわかりません。

どうかそれをご承知のうえでお読み下さい。

まず、今回の場合は燃料不足の発生した地域を三つに分けることができると思います。

①東北地方(主に岩手・宮城・福島の三県)
②茨城県
③南関東地方(東京・神奈川・埼玉・千葉の四県)

①の地域は出荷基地が震災で壊滅的な打撃を受け、出荷そのものが長期にわたり
不可能となりました。
またそれだけでなく、津波・地震・停電などによりガソリンスタンドが機能しなくなった
ために、お店に残っていた限られた量の在庫分の販売もできなくなりました。

②の地域は少し複雑です。
この地域の多くを普段カバーしている出荷基地は茨城県内にあります。
その基地は設備の被害はそれほど大きくなかったようなのですが、
やはり一時は出荷不能に。
そこに加えて港が損傷してタンカーが着けられなくなり、出荷が可能になった後も
原油が入ってこ来なければ貯蔵分に頼るしかなく、見通しがつくまでは出荷量を抑えて
いたのではないかという…。という、これはあくまでもワタシの推測。
そして、普段この出荷基地から配送されていないエリアは東北及び南関東の出荷基地で
カバーしているのですが、東北地方の基地は先のご説明の通りですので配送が
手薄になったと考えられます。
そんな中、南関東からの出荷でカバーしているエリアは他のエリアに比べれば
燃料が手に入りやすかったのではないかと思います(あくまでも比較論ですが)。

そして③の地域。
ワタシに言わせれば、この地域の燃料不足の理由がもっとも「タチが悪い」もの。
いくつかある出荷基地をトータルで見た場合、たしかに二日間ないし三日間は
明らかに出荷量が落ちたと思います。
しかし、地震が起きたのは金曜日。その直後の土日に遊びに出かけた人はさすがに
少ないと思われ、月曜からはいくらか量が減っているとはいえ出荷はされている。
さらに通常のガソリンスタンドの在庫量を考えると、人々が普段どおりに給油を
していれば、あのような燃料不足は起きなかったとワタシは考えます。
そう。つまりこの地域は純粋に燃料が不足したのではなく、買占めで燃料が
不足したのだと思います。

と。
ここまでは燃料不足となった原因を推測してみましたが、以降は現場の混乱振りを
ご紹介しましょう。

まず地震後の土日。
我々が普段利用する高速道路が通行止となっただけでなく一般道でも段差ができていて通行できなかったり、倒壊の危険があって通行止となっている橋があったりしました。

特にワタシ達にとって痛手となったのは、京葉道路と東関東自動車道の両方が通行止。千葉県と都内を結ぶ大動脈が使えなくなったため、その代わりとなる国道14号・357号に
車が溢れて道路としての機能を失っただけでなく、接続している周辺道路もほぼ麻痺。

普段なら1時間10分程度で可能な「積み場~行徳」の配送に八時間かかりました。
(地震当日に千葉県内に残った人が都内へ移動を始めたことが原因だったよう)

お陰さまでこの辺り以外の道路に極端な混乱はなかったのですが、
ご存知のようにガソリンスタンドの周辺は大渋滞。

我々がお店に寄り付けないだけでなく、ようやく辿り着いても店内は混雑を超え
もはや混乱の呈。
そのためになかなか入ることができませんでした。
そしてようやく入って荷下しを終えても、今度は混乱の間隙を縫ってお店を出るのに
一苦労といった状況でした。

3月14日の月曜日。

内勤のワタシに同僚がくれたメールをご紹介しましょう。

着信時刻は4時38分。

こんな時間から ルー○16市原(スタンド名) 大行列が あらら

このお店の在庫状況がどうであったかは知るすべもありませんが、弊社がこの日に
配送に行ったお店のほとんどは、我々到着時にはガソリン在庫切れ。
お店の多くは、混乱を避けるために閉店していました。

そして火曜日。
節電により幹線道路の街灯が消え、24時間営業のガソリンスタンドの照明も消えた
暗い道路を積み場に向かうようになったこの頃から、事態は徐々に変わっていきます。

小さなお店が在庫切れであったことに変わりはなかったのですが…。

今だから言えますが。
少なくとも我々が回っていた幹線道路沿いの大きなお店は、いくらか在庫に余裕が
ある状態でお店を閉めていました。

弊社の前のガソリンスタンドにパトカーが来て、周辺道路の渋滞解消のために
「営業自粛」を呼びかけていたこともあったので、混乱防止のための閉店でも
あったでしょうが…。

ただ。
なんとなく、それだけではない雰囲気も漂っていました。
あくまでもワタシの感覚ですが、大手特約店(販売店)には御上から「緊急時用燃料」として
在庫管理の密命が出ていたのではないかと。

まあ、あくまでも想像ですが。

理由はどうあれ。
この頃「本当に必要な人」に燃料が行き届かなくなり始め、世間が殺気立ってたことは
紛れも無い事実でした。

社内で

信号待ちの時に後ろの車の人が降りてきて配送先を尋ねられた

とか、

隣りの車の助手席から声をかけられたが聞こえないフリをした

などの声が挙がり始め、「千葉県某所でタンクローリーが囲まれた」というニュースも
テレビで流れました。

また、15時以降の配送希望になっていたショッピングモール内のお店から

(暴動対策の)私服警官が到着したから、もう来てくれても大丈夫

と電話がかかってきたり

積載表示板をすべて「軽油」にして来て欲しい

と要望があったり…。
Image_2   

 

 
(←積載表示板) 

 

 

明らかな異常事態に、現場の同僚は大変な思いをしたようです。

また24時間営業だったお店が閉店したことにより

○○SS現着しましたが、誰もいなくて荷下しできません。

という無線が飛び交うようになりました。

お店が営業していようがしていましが、ローリー到着と共にどこからともなく車が集まり
スタンド前に渋滞が発生。

アッという間に周辺は大混乱に。

内勤だったワタシはこういった事態を避けるべく、前日のうちに店員さんの出勤時間確認
の電話をしたり、ローリーが路上待機できないようなお店に「間もなく到着」の連絡をしたり
していたのですが、お店側は「営業してますか?」「在庫ありますか?」の問い合わせに
辟易している状態で電話は無視。
こちらはこちらで大変でした。

さて。
震災からほぼ半月後の3月24日。
南関東の燃料事情はすっかり安定し、反動でむしろ例年よりヒマになっていました。

そんな中ワタシは北茨城市へ配送に行ったのですが、震災後に初めて走った
常磐自動車道は、北へ行くほど道路の状態が悪くなりました。

ペットボトルが飛び上がるほどの段差、崩落した路肩、ウネウネと波打つ路面。

周囲の景色も様変わりしており、家々の屋根にはブルーシート。
傾いた塀、どこかから運んできたと思われる瓦礫の山々を横目に見ながら、
被災地・北茨城市に到着。

事故渋滞のためにワタシの到着が二時間近く遅れたこともあってか、お店の前だけでなく
周囲の路地までビッシリの車、車、車。

ワタシがローリーでお店に近づくと、待ちくたびれて車から降りていた何十人という
お客さんから「おー」という軽い歓声と拍手が。

皆さんの熱い視線を感じながらの荷下しとなりました。

…。

といったところが、概ねの当時の状況でしたが。

今回の騒動によって考えさせられたことはたくさん有りましたが、仕事がらみで
あえて一つだけ挙げさせてもらうなら「車の燃料はどうなるのか?」ということ。

昨今「電気自動車」が注目されていますが、震災でオール家電のお宅を始め「電気」に
頼りすぎている今の生活の問題点が浮き彫りとなりました。

ようやく軌道に乗った「電気自動車」。
今さら別の路線を模索も難しいでしょうし、今後の舵取りが注目されます。

…。

究極はやはり、ソーラーカーですかね…。

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コメント

Oddyさん>
おはようございます!
「守る」などというたいそうなことはできませんが、細々と頑張ります…。

ジョニーさん>
おはようございます!
誰もが仕事で大変な思いをされたことは分かっていますが、いわゆるサラリーマンの方とは少し違った大変さだったのかと思います…。

うわぁ・・・・・

こりは。。。こりは大変だ

お疲れ様です。
これからも日本のインフラを守ってください。
電気・ガス・石油の中でも
復旧させやすいのが電気、
石油はにゃん太郎さんたちが守ってくれる。
でも人に依存せざるを得ない。
寸断されると一番厄介なのがガスだそうです。

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