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2011年5月 1日 (日)

その日のワタシ

3月11日、ワタシは乗務でした。
東北地方を中心に東日本を揺るがしたあの地震が起きた時、ワタシは積み場に
向かうために高速道路を走行していました。

場所は館山自動車道下り蘇我インターを少し過ぎた辺りで、速度は80km/h弱。

ラジオは文化放送。
「大竹まことゴールデンラジオ」の生放送中で、出演は大竹まこと氏と室井佑月氏。

そして「その時」は、ラジオの緊急地震速報も、携帯電話の緊急地震速報もないまま
突然にやって来ました。

ラジオの大竹氏が揺れ初めを告げた時には「いつもと同じ」感じの揺れなのかと
思いましたが、取り乱してこそいないものの激しくなった揺れを実況する氏の声の
緊迫感で、その揺れがにいつもとは明らか違うものであることが伝わってきました。

「伝わってきました」というどこか他人事のような表現であるのは、ローリー運転中の
ワタシにはその揺れがほとんど分からなかったからです。

率直なところ「言われてみればちょっと走りづらいかな」程度の感覚しかなく、ラジオを
聞いていなければおそらく地震に気付かなかったでしょうし、仮に違和感を覚えて
地震に気付いたとしても、震度5~6クラスの地震だとは想像もできなかったでしょう。

そしてそれは、ワタシのそばを走っていたトラックの運転手達も同じだったよう。
乗用車が軒並み路肩に停まったにもかかわらず、停車したトラックはゼロでした。

そんな状況下、路肩に停まった乗用車から驚いた表情で飛び出し、進行方向右側、
方位でいうと西を見ている人がいました。
その時は激しい揺れに驚いて車を降りたのかと思いましたが、今になればコスモ石油の
爆発の瞬間が見えたのかもしれません。

それよりもワタシは、その乗用車の隣に立っていた車間距離確認用の標識が
「根元から折れるのではないか」と思うほどの勢いで揺れているのを見て驚愕したと
同時に、その状況が理解できず、一度は「風のせいか?」と思いました。

なぜかと言えば、激しい揺れを大竹氏が告げてからはかなりの時間(推定1分近く)が
経っており、地震に対するワタシの中の常識では、標識が折れそうに見えるほどの
揺れがそんなに長時間続くとは考えられなかったからです。

ワタシの記憶が正しければ、ラジオはこの頃に「まだ揺れている」というスタジオ
からの地震報道に変わり、宮城県で震度7を観測したとの一報が。

それに平行して、車載の無線機ではワタシ達の仕事を統括しているU社から緊迫の声。
その内容は、強い揺れの実況と各乗務員に落ち着いた対処を求めるものでした。

その後「震源地は宮城県沖」「マグニチュード8.2(だったでしょうか?)(初報時)」
「東北地方の太平洋側は軒並み震度6強~弱」等の続報が流れましたが、
揺れの大きかった地点があまりにも多すぎたためか、ワタシがいた市原市付近、
あるいは自宅のある四街道市や実家がある我孫子市の震度は一向に発表されません
でした。

そのせいもあり、地震の揺れそのものを体感しなかったワタシはこの時点では
「どうやら関東も結構揺れたらしい」という程度の感覚で、「強い揺れ」という認識では
ありませんでした。

それでも「念のために」。
兼ねてより大地震発生時に迅速に連絡できるように作成してあった安否確認のメールを、

携帯電話の「未送信」フォルダから家族や近しい友人に一斉送信したのは14:50。

この時はまだエラーにならず、すぐに送信できました。

最初の返信を受信したのが14:54。
携帯電話の通話やメールが混乱しだしたこの頃、ワタシは市原インター出口付近に
差し掛かりましたが、出口手前の電光表示板には「地震発生通行止 ここで出よ」の
表示が。

ワタシが目指していた出口は市原インターの一つ先にある「姉崎袖ヶ浦インター」。
遠くに見える市原出口への分流地点を見ても強制流出させられる気配はなく、
結局ワタシは表示板の指示に従わず、高速を降りることなく姉崎袖ヶ浦を目指しました。

決断の理由は「市原から先、一般道を走るのが面倒くさい」という単純なもの。

しかしながら。
いま思えば、この時のワタシの判断はプロドライバー失格。

いくら揺れの激しさを実感していなかったとはいえ、ラジオで大きな揺れを
実況していたにもかかわらず路肩に停まらなかったことも含め、恥ずかしい限りです。

また、強行走行中に地震により道路が陥没したり高架部分が崩落したりしたりという
ことを考えると、恐怖も覚えます。

さて。
揺れが収まって一段落した(と思われる)この頃から、前出のU社が無線で各車に
安否確認の連絡を取り始めましたが、ワタシは電波状況の悪い地帯に入り
無線が途切れました。

不思議なことに、この辺りから積み場に到着するまでの20分弱の間、ラジオで
どのような報道をしていたのかまったく覚えていません。
あの時は自分が動揺しているとは感じませんでしたが、ひょっとしたら自分で
気付いていなかっただけでそれなりに動揺しており、いつもと違う精神状態だったの
かもしれません。

覚えているのは「とにかく今は、積み場に向おう」「積場は出荷停止だろうな」
「出荷停止になっていたらどういう経路で車庫に戻ろうか」等を考えていたということ。

そんなワタシはやがて「姉崎袖ヶ浦インター」に辿り着き、料金所を通過。
昔なら料金所の係りの方に揺れの状況など尋ねることができたのですが、ETCとなった
今ではそこでの情報収集はできません。

ETCゲート通過直後、徐行しつつ入口の電光掲示板をバックミラーで確認すると
やはり「地震発生 通行止」の表示が。

走行してきた経路も、そして目の前の景色も普段と変わりはありませんでしたが、
ラジオや無線からの緊迫した状況から考えると簡単に通行止が解除されるとは
考えられず、出荷が可能でも不可能でも、車庫までの帰り道に高速道路を使用する事は
あきらめました。

ちなみに。
出荷可能であってもすでに「車庫に帰る」ことが決まっていたのは、これから積む油の
配送先が弊社の車庫だったからです。

さて。
それから数分すると、相変わらず電波状況の悪い無線から同僚が弊社の車庫を
呼ぶ声が聞こえました。

しかし、何度か呼びかけるも応答なし。

のんきなワタシは「地震対応の電話にでも追われて、無線に出られないのかな?」
などと思いつつ、信号待ちの間に(違法ですが)念のため車庫にいる所長の携帯電話に
「大丈夫でしたか?」とメールを。

その後も車庫を呼ぶ同僚の声を聞きながら積み場に入り出荷場所まで辿り着くと、
係員から「現在出荷停止中」の説明と「車から降りて事務所建物内で待機」の指示が。

車から離れると無線が取れなくなるため、自分の安否と現在の状況を伝えるべく
ワタシはU社に無線連絡。

ワタシ) U社、取れますか?
      ○号車です。どうぞ。

U 社) U社です、どうぞ。

ワ) お疲れ様です、○号車です。
   ただいま3回目積み込みのため、積み場現着。
   現在出荷停止中のため、車から降り…

と、この時。
停車中にもかかわらず、ハンドルに掴まっていなければ姿勢を維持できないほどの
激しい揺れに襲われました。

本震の約30分後に発生した茨城県沖を震源とする、余震です。

ワ) いま激しく揺れています…!
   現在出荷停止中。
   車から降りて事務所内で待機するよう指示が出ていますので、車を離れます。
   以降無線には出られませんが、状況が変化したらこちらから連絡します…!

U) 了解!
   揺れが収まりしだい、現場指示に従って下さい…!

この揺れを体験し、ワタシは初めて事態の大きさを実感しました。

普通に考えれば、これは余震。
となると、本震の揺れは今の揺れを大幅に上回るものだったはず…。

ここで、先程同僚の呼びかけに反応が無かった車庫のことを思い出し、さらには
所長からメールの返信が来ていないことにも気付きました。

車庫の建物はそれは粗末な木造平屋建てであり、耐震基準などどこ吹く風。
今起きた余震を上回る強い揺れに、到底耐えられとは思えません。

すぐさま車庫に電話をかけるも、回線パンクで繋がる気配はまるで無し。
何度挑戦しても結果は同じで、どうしようかと思案していたところメールを受信。
相手はなんと、所長でした。

「ファイルなどが棚から落ちました。余震が凄い」

とりあえず車庫が無事なことも分かったので事務所へ移動しようとすると、
今度は所長から電話がかかってかました。

話しを聞いてみると、建物は無事とのこと。
無線が繋がらないのは停電のためで、もちろん電話も使えないということでした。

弊社乗務員の安否と現状を尋ねられたワタシは、U社が行っていた安否確認の無線で
把握できた内容を伝え、事務所へ移動しました。

そう、そしてこの時。
車を降りる際に遥か遠くに炎が見えたものの、気にも止めなかったのですが…。
(工業地帯のため、どこかの工場の煙突から炎が出ているのはよくある光景なので)

事務所に入ると積み場の係員が二人、他社乗務員が一人、そして弊社乗務員が一人。

彼らが見つめるテレビに目を向けた時、ワタシは目を疑いました。

「宮城県 予想される津波の高さ 10m超」

その他にも8m、6m。

ワタシ達が見ていた民放がどこの局だったかわかりませんが、画面はどこかの港を
映していました。

初めは何の変化も無い映像でしたが「少し水位が上がったかな?」と思うや否や
見る見るうちに海は陸に上がり、物は流され、ガソリンスタンドが呑み込まれていき、
その圧倒的なパワーにワタシは言葉を失うと同時に、目にしている映像がいままさに
現実として起きているのだということを到底信じることができませんでした。

その他にも「お台場で黒煙」という映像が流れ、更に追い討ちをかけるように
「市原市で工場炎上」という映像が。

そしてヘリコプターからのその映像に、同僚とワタシは「あ!」と声を挙げました。

レポーターは「どこの工場か不明」と言っていましたが、炎上する工場の片隅には
見慣れた煙突。

その工場はどう見ても、我々が頻繁に出入りしているコスモ石油ではありませんか。
(お陰さまで爆発時には弊社社員は現場に居ませんでした)

そう。
さきほど車を降りる際に遠くに見えた炎は、炎上しているコスモ石油だったのです。

思わず事務所の外に出ると、いつの間にか予報通り強い夕立が降り始めていました。

ワタシがそのまましばらく10km先の炎を見ていると、一瞬その炎が一際大きくなり、
黒い雨雲を真っ赤に染めました。

その数秒後には、地響きのような爆発音が到達。
ワタシはただ、呆然とするしかありませんでした。

そしてその頃だったと思いますが、積み場の構内にサイレンが鳴り
「内房にも大津波警報が発令された」という放送が。

目視こそできませんが、積み場の目と鼻の先は海。

にもかかわらず、係員は一向に避難・誘導する気配はありません。

さすがに10m超ということはないでしょうが、テレビで津波の破壊力を目の当たりにした
ワタシは危険を感じ、わざとらしく「ここ、すぐ海ですよね?」と訊いてみましたが
係員からは「そうですよ」という返事のみ。

さらに言えば、避難どころか「ウチはいつでも出荷できるよ」というスタンスで
「あれだけの強い揺れがあり、まだひっきりなしに揺れが来るこの状況で、まともな
設備点検無し(と思われる)によくそんな事が言えるなあ」と二度ビックリでした。

この頃が何時くらいだったのか分かりませんが、この後の配送を行うのか行わないのか
まだ何も決まっておらず、ただ時間を潰している状態でした。

やがて紆余曲折の末「配送中止」が決定したのは17時過ぎ。
無線でU社に連絡すると、気をつけて「車庫に戻って下さい」とのこと。

その時に

え?車庫に戻るの?

とワタシが思った理由は

① 大規模災害の際には車の利用を控える
② 工業地帯のこの辺りは通勤ラッシュの渋滞がひどい地域。
   現在は17時を回り一番混む時間帯であり、更に
地震の影響で尋常ではない
   渋滞が予想される。
③ この状況下で明日配送があるとは思えないので、無理に今日帰る必要は無い。
   (トラックはに非常時の食料と飲料が積んであり、暖房やラジオの心配も無い)
④ 万が一明日配送があっても、出荷はいま居る場所から行われる

と言う訳で、「いま」が一番動きたくない時間であったワタシは所長に電話してみることに。

しかし、なんとか繋がった電話の向こうからは「帰って来い」との無情の指示が。

17時半前。
止む無く動き出したのですが…。

先に書いたように高速道路は利用できないため、帰路の経路は極めて限られます。
熟考の末、少ない選択肢の中から「正攻法の国道16号線経由」をワタシが選んだのは「どうせどこを走っても動かないなら、走り慣れた道を」という理由でした。

案の定16号線に出た瞬間から大渋滞となったのですが

2011031117430000  

 
遥か彼方で炎上する

 
コスモ石油を見ながら

 

 
ダラダラと20分程度は流れた
でしょうか?

空いていれば車庫までは1時間の道のり。
この辺りでは「3時間くらいはかかるかなあ」と思っていたのですが、結果はそれを
大きく上回るものでした。

というのも、この後パッタリと動かなくなりまして。

この頃になるとメールがいくらか繋がりやすくなったのか、ずっと前に送信されたと
思われるメールがまとめて送られて来たりし始めました。

「これ幸い」と渋滞(というかもはや停車状態)を利用して、心配して連絡をくれた
宮古島やら高松やら広島の友人、さらには新幹線に缶詰になっている友人などと
連絡を取ったのですが、いかんせん、一時間経ってもほとんど居場所が変わらない
という状態。

途中、問題のコスモ石油前の交差点が通行止になっているという情報は入手したの
ですが、車が動いてくれないことには迂回もできないわけでして。

じりじりと動き出した後、なんやかんやと迂回を重ね、その先々で渋滞にはまり…。

23時過ぎ。
停電が解消せず、寒さに震えながら懐中電灯を照らしている所長に迎えられました。

そして「にゃん太郎、今日遅かったから明日6時で良いよ」という声に送られて帰宅。

車庫はいまだに停電中だったのですが、幸い自宅の電気は復旧していました。

まずは風呂に入ろうと思ったのですがセットしてあったタイマーは停電で解除されており
(仮に沸いていてもすでに温くなっていて入れなかったでしょうが)、とりあえずシャワー
だけ浴びることにしました。

ところが。
体にザッと熱いシャワーをかけたた後、桶にお湯を溜め始めると赤水が。

マンションの悲しい現実。
長時間の停電の後には、赤水。

しばらく流せば大丈夫かと思ったのですが、流せど流せど一向に良くならず、
濡らした体が冷えてきてシャワーどころの騒ぎではありません。

もちろん「赤水シャワー」を浴びるという一手もありましたが、体よりも湯沸かし器(?)に
良く無さそうな感じがしたのであきらめました。

そして。

この日最後の行動であったはずの夕食。

食べたのか?食べなかったのか?

まったく覚えていません。

そんなこんなで。

お陰さまで、なんとか無事にワタシの「その日」は終わりました。

皆さんそれぞれの「その日」があったことと思います。

ワタシ達はこの時のことをただ漠然と覚えておくのではなく、経験や教訓として今後に
生かさなければいけませんね。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ここに書いたワタシの出来事の裏側でも様々なことがあったのですが、それはまた
別のカタチで書かせていただきます。

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コメント

すいません
そんな大層な理由なんてのは実はありませんで

風呂に入って家で寝たい
それだけでございます

家にいけば まぁ 体を横にして眠れる
それがなによりでした

歩いて帰るほうが大変だよとおっしゃるかたもいるはずです
ただ あれですな
ビルというのは耐震構造というやつで これがやたら揺れる

これはほんと 疲労するものです
自分 5階にいるんですが、みんな気持ち悪くなっちまいましてね

歩いているときにおもったのは、大地はいいものだということですな
大地が揺れているのですが、それでも、その揺れていても大地はいいものだという感じがありました
本能なんでしょうかねぇ
それと、考えるに、避難所生活のかたが、本当に疲労しておられることを痛切に思う次第です
ただただ 家にかえって ひとっ風呂あびて ビールのんで
おくさんのおつまみと子供や孫の顔をみながら
その場に くて~~と横になりたいよと
夢から覚めたら震災なんてもうなにもなかった
あれは夢だったんだ 
だったら 本当によかったんですけど(涙)

そういう簡単なことが 本当に本当に 実はすごく
痛切に・・ 願ってることなんだろと
枝豆とビールですよ・・・

人間ってほんとささやかな愛すべきことがそばにあれば
いや それがなければ
というか ほんとに そのささやかなことを
まずは満たしてあげたいような
そういう感じなんですが

日頃自分がどういう人間かということを家族には話しているので
心配はかけましたが
大丈夫だ あいつは
あれは帰ってくるな
と 家族との連絡が取れない中でも自分の行動をなんとなく
把握している家族というのは
いいものだなぁと思いました
なので自分は常々親しい仲には、言うておりますよ
自分に万が一のことがあっても

お墓の前で泣かないでくださいと・・・・
はい

そういうふうに過ごしてはいます
まぁ極論なんすがね
 

ジョニーさん>
こんばんは!
毎度のコトながら長らくの放置、申し訳ありませんでした(汗)。
ご自宅まで徒歩で帰られたのですね。さぞ大変だったことと思います。お疲れ様でした。
今回は判断の基準と言うか、決断の根拠と言うか、そういうものをいかに自分で出すことができるかが非常に重要だと思いました。
良いとか悪いとかではなく、ワタシが車庫に帰ったことも、ジョニーさんがご自宅に帰られたことも、「その場に留まって様子を見る」という選択肢もあったわけですよね。そもそも当日、千葉や東京は現在が「大災害」あるいは「災害」であるのかどうかという判断からしなければならなかったわけで…。
上手く言えませんが、そういう一人一人の判断の積み重ねが災害時の社会の流れの方向を決めるわけで、社会の一員として日頃から己の考えを練っておかなければいけないと思いました。

この日のことを書いて頂いて嬉しく思います
にゃんさんだって、この日のことを思いだすとフラッシュバックして
疲れると思うのです
でも今後、このような事態になったときの (なにか)には
きっとなりますよね   そうですよね
ショッキングなことでした
ショッキングなことですが、自然の災害というのは、人間の力を
圧倒的に上回るということを本当に感じました
自然は時として脅威なのだと思いました
そして人間がコントロールできるような代物ではないと
そう思っているのです
でも、その中で、必死になにかを捜しそうとしているニャンさんの姿は
とても真摯で心に迫る感じがします
いまできることはなにかと考えてたこともありましたよね
ごくごく 普通のことをしているだけなのかもしれませんが
それでいいのだと思えます
今後のにゃんさんの姿勢に注目です
なんか上から目線ぽいコメントかもしれませんが
自分は都内にいて、歩いて帰ってきたので、これといったショックなことはありませんでした
ショッキングなものもみなかった、 非日常だと思いましたが
なので車を運転していたのが
自分だったらどうしただろうと思ってしまいます
ありがとうございました

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