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2012年6月 8日 (金)

ほじほじ のち 少々真面目

どうも。
腕がパンパンで自分の腕でない感じの男・にゃん太郎です。

どれくらいパンパンかといいますと、グーパーグーパーを300回やったくらいの感じです。

で、こんな状態になっているのは。
昨日ReRootsさんにお世話になりまして、仙台で畑の掘り起こしをしてきたから。

9時~15時まで、スコップを使いほじくりまくってきましたよ。

昨日行った畑は

Img_0026  

 

 

 

前日に大人数で掘り起こしをしてくれてありましてね。

 

 

 
 


残りわずかの部分を参加者11名で掘り起こし、さらに仕上げで再度表面の瓦礫や小石拾い
をするだけでした。

そして時間が余るので、100mほど離れた別の畑に手を付ける予定でした。

が、しかし。

残っていた部分の土壌の一部が想像を絶する粘土質で、まったくと言って良いほど
スコップが入らず作業が難航。

さらにようやく掘り起こせた部分にも無数の砂利が埋まっていまして、結果的には
前日の残りの畑を仕上げるのが精一杯でした。

いや~。
あの粘土質加減は尋常ではありませんでした。

力任せにスコップを突き刺しても金属音と共にATフィールドの如く跳ね返され、

これ、絶対に大物(ブロック等)が埋まってるだろ??

と思うのですが、格闘の末にスコップの刃一枚ほどの深さを掘り起こすと、結局はただの土。
ただし、その土はスコップの刃一枚×一枚×一枚の超高密度な立方体、的な。

(ちなみに先の写真で畑の隣にある大きな水は川でも池でもありません。そんな土壌の
 た めに水はけが悪く、雨が溜まってしまっている「畑」です)

そんな状態なので掘り起こした土を「ふるい」にかけても意味が無く、結局は手作業で
砕いて砂利を取り出すという…。

(もともとの土壌の上に流されてきた海底の砂や泥等がかぶさり、震災直後の大きな
 瓦礫の撤去のために入った重機で踏み固められた結果このような土になってしまったようです)

ま、地味で根気のいる作業でした。

それでもですね。

仙台平野の開放的な空間の中で、どこまでも広がる青空の下、海からの爽快な風に
吹かれながら体を動かす作業をするというのは実に気持ちが良かったです!

誤解を恐れず本音を言うなら、ボランティアだとか、お手伝いだとか、誰かのお力になれるとか、
そういうことは関係無しに、日常のしがらみを120%忘れることができる場所と時間。

それが昨日でしたし、おそらくはそれを求めることが、これからワタシが仙台に行く
理由になるでしょう。

で、結果的にそれが少しでも何かの役立つのなら嬉しく思います。

さらに言えば。

子孫を残すこともなく、名を遺すことも無いであろうワタシ。

自分が生きてきた証拠を残すことは難しいですが、いつかやがてあの辺りに住む人達が

「復興した」と思える景色になった時。

そうなるまでの時間の片隅に、本当に僅か僅かですが、自分の存在が溶けている。

このささやかな事実と自己満足のおかげで、そう遠く無い将来にやって来る、地球に存在する
すべての命がワタシと何も関わっていない時代を想像しても恐れることなく

良い人生だった

と思いながら死んでいかれます。

と、まあ。

少々暗い感じになってしまいましたがね。

実際は作業をしている視界の中に

Img_0028  

 

 

こういった家々が

 

 

 

 

Img_0029  

 

 

 

現実に残っているわけで

 

 

 

 

Img_0030  

 

 

 

作業をしている時は

 

 

 

頭の中は空っぽ。

無我の境地です。

そんなわけで、来月も行って来ますよ。

そろそろ暑くなって大変だろうなぁ…。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今回は両親も一緒に仙台に行きました。

本人達は出来る作業があれば活動に参加したかったようですが、当日の作業内容から
活動は断念。

ワタシが作業している間に石巻市に足を運び、今の被災地の状況を見て回ったようです。

荒浜海岸近辺は早朝にワタシが案内し、テレビ映像では伝わらない被災地の
「空気感」に衝撃を受けていました。

そんな体験をしてから彼らは石巻に行ったわけですが。

石巻の状況は、更に輪をかけてヒドイそうです(まだ大きな物が街中に残っている)。

荒涼とした場所にポツンと残った住居跡に咲く花の中に佇む老婆が、ポツリポツリと
その花を摘む姿に遭遇したという母。

その話を私にしながら、涙を流していました。

老婆が自分に近い年齢(であろう)なことに様々な思いが重なったこともあるのでしょうが、
景色や空気、そしてなおも残る山積みになっている瓦礫からの臭いに、母の感情は
ほぼ飽和状態に達している感じでした。

そういう「いまの被災地」を、果たしてどれだけの国会議員が訪れ、考えているのでしょうか?

「いま」を目の当たりにすれば、とうてい政局にかまけてなどいられないと思うのですが。

世間では、もうじき夏休みが始まりますね。

いまからでも遅くありません、ぜひ皆さんも一度被災地を訪れてみて下さい。

自分の中で「何か」が変わると思います。

…。

と、偉そうなことを言ったところで、今回はおしまいです。

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コメント

みんとさん>
おはようございます!
この先良いご縁があれば良いのですが、最近どうもそういうパワーがなくなってきました…(汗)。

>子孫を残すこともなく、名を遺すことも無いであろうワタシ。

人生、最後までわかりませんよ?
私は、にゃん太郎さんより少し年下ですが、年齢も年齢なので、こどもはもう
産まない(産めない)です。こども好きなので、辛いです。
男の人の場合は、病気とかにならない限り・・・リミットはだいぶ先ですから。

>自分が生きてきた証拠を残すことは難しいですが、いつかやがてあの辺りに住む人達が
>「復興した」と思える景色になった時。
>そうなるまでの時間の片隅に、本当に僅か僅かですが、自分の存在が溶けている。
>このささやかな事実と自己満足のおかげで、そう遠く無い将来にやって来る、地球に存在する
>すべての命がワタシと何も関わっていない時代を想像しても恐れることなく
>良い人生だった
>と思いながら死んでいかれます。

人は、さまざまな経験をすることによって、自分や自分の身の周りの人たちの幸せだけでなく、
みんなの幸せを願うようになるのかもしれませんね。

ジョニーさん>
こんにちは!
お元気にしていらっしゃいましたか~???
そうですね。ある意味では一つの幸せを見つけたといえるかもしれません。
本文にも書いたようにそれは役に立てるという観点からではなく、作業に没頭している時間は全てから開放されている感じがするという角度から。そういう場所と時間を見つけられたという意味でですね。
「不謹慎だ」というご意見もあるかもしれませんが、結果的にそれが地元の方々のお役にたっているのであれば、それも有りかなぁと。
詭弁ですかね(笑)?
あと、一つの目標に向って損得関係無しに尽力する集団に身を置くというのは、とても心地良いです。
そしてその人達から学ぶことはとてつもなく多く、活動に参加させてもらうことで受ける刺激は計り知れません!

こんなことを云ったら 叱られるかな
ちょくちょく こんなブログを読みたいです。
自分がものを言える立場はないかもですが
言葉に出来ない大事なものが 染み込んでくるので心地よいのです
にゃんさんは大変なんだけど

にゃんさんが不思議と幸せそうに見えるしたら
叱られるかな
やはり
でも
幸福なキモチとはいわなくても 幸福の気配があるのは
人を思うきもち 助けたいという気持にはーだいじな事だと
おもうので
愛とーいうのですよねこれを
オイラ 変ですか。
喜びを運んで行きましょう
オイラ 甘いですねきっと
叱られるかな
でも、今話題の胸の奥から云ってるんです
幸福には かないっこないって
しあわせに なれる都いうことを つたえたい
にゃんさんは大変そうしているんだな
そうおもう
うん
ゴメンなさい
心に力が沸くんです
きっと出来る
いろんなことが 我々にも被災地の人にも

傲慢かな
でも、嬉しいんんです
ありがとう
にゃんさん

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